病気になって考えた 完治宣告

12/8、手術をしてくれた病院の脳神経外科の診察があった。この病院を退院したのは4月。その後のリハビリ病院を退院したのは9/8で、およそ3ヶ月ぶり。今回は手術の経過を見るために、MRIをとって、その診察だった。

正直「自分の病気は完治することないんだろうな」という覚悟があった。病変は取れていても、他の人よりの腫瘍ができやすい。脳に腫瘍ができなくても、体の他の部位にがんができる。だから自分は40くらいまでいきれれば本望で、それまで自分がやりたいことをやりつくそう。未練を残さない準備を常にしておこう」と考えていた。

MRIは2日前に取り終わっていたので、すぐに診察だった。

コンコンコン。ドアを三回ノックして「失礼します」と診察室に入った。繊細は難しい顔をしてモニターを覗いている。ようにみえた。

最初に先生は肺の状態について聞いてきた。少し前から肺に謎の影があり、内科にかかっていたのでそのフォローアップみたいな感じ。肺のほうが「形的にがんではない」といわれていたので、あまり心配はなかった。3分くらい肺の状態について話して、「さて、気になるのはMRIについてですが・・・」と話を切り出した。

先生がハイの状態について喋っているあいだ、「MRIに問題がなかったのだろう」と思っていた。

MRIの画像を表示して、先生は「目立つ病変はないですが・・・」といった。最悪の自体を想定していた僕は後に続く言葉を頭で予想していた「一部小さい腫瘍が残されています」とか。

実際は先生はそこで話を終えたぼくが「一部残っていたということですか?」と聞くと「いえ、全くありません」と。

その後いろんなことを聞いた。他にも腫瘍になりやすい体なのか?脳腫瘍は再発しやすいのか。とか

しかしどれも当てはまることはなく、腫瘍は再発しやすいということはないし、がんになりやすいというわけでもない。その他なにかに制限をかける必要もない。

僕は脳腫瘍ができる前の状態に戻れたのだ。

一部後遺症は残ったが、治ったのである。

「人より長くはいきられないんだろうな」とか「40までに死ぬ準備をしなきゃ」とかいろいろ考えていたが、そんな心配は無用だったようだ。

いろいろ深く考えすぎて損した、ということはないが、僕は心配せずとも生きられる体になったということである。

しかし「40くらいまでしかいきられないだろうから、それまでに死ぬ準備をしておこう。やり残したことはなにもないと言いながら死ねる準備をしておこう」という意識は、これからも持ち続けたいと思う。

生きているって本当に素晴らしいことだ。

後悔のないように生きたい。

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