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どんぐりを拾うルーティーン、小学校の頃からの習慣化された行動

母が入院中の話は何回かしています。
実家から本当に近いその病院に私は面会(zoom)に、そして、届け物に通っています。
部屋の番号もわからない(キーパーソンでないので教えてくれない)
届け物の時も母の状態は絶対スタッフは話さない(キーパーソンを通してください)
ただ品物を預かって、名前と品物を書く紙を記入してくださいと言われるだけ。


さて、そんな病院からの帰りに昨日は小学校からの高校まで通った通学路を通って帰ってきました。
フェリスの階段と言われていた階段を上がり、
山手通りのカソリック山手教会(改築中)司祭館、テニスコート。
小学校の時にススキの穂や桑の実を取りに行った廃墟のようなところに立派なマンションが建っていたり。
学校帰りにブランコに乗って友達と話して時間を費やした山手公園を抜けて、実家まで帰ってきました。

山手公園では、見覚えのある大きな木が残っていました。
小学校の時、どんぐりがなっていて、落ちていると使い用がないのについ拾って。
木も大きくなってるかもしれないけれど、私も大きくなりました。
一つどんぐりを拾う。

母も歳をとったし、人の心も変わるけど、どんぐりの木は変わらないね。
つい、落ちていた一つどんぐりを拾いました。
気持ちと行動が小学生にもどるルーティーン

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