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祖母を語る 

今日はお金が好きだった祖母について書きますね。

明治の終わりの生まれでした。
看護婦免許を持っていて、母乳推進。
理由は母乳だったら赤ちゃんに与えながら本が読めるから。
哺乳瓶では抑える手が必要です。
「お金があるから孫も来てくれる」と話した祖母は東北の農家からお嫁に来て旗本の家柄の姑とは気が合わなかった。
生意気な孫はお金があっても好きでないおばあちゃまには会いに来ないと思っていました。
40歳代で脳卒中片麻痺になりましたがマヒの方の手でお札をしっかり押さえていました。
ゴージャスなものが好きで、家の壁紙はロココ調、シャンデリアを飾り、花は牡丹が好きでした。大きくて濃いピンクの花が咲くと満足そうに見ていました。
女性は賢くふるまって、夫を立てて、実権はこちらが握ればいいのよと胸を張っていました。本当は、夫は早くに仕事を辞めてしまったので、それから立てるどころか外も内も自分があらゆる手を使って権力を行使していました。
私が結婚するときに、東北にお嫁に行ってくれるのが嬉しい、だけど息子と嫁には話せないねと笑っていました。
でも、夫のことは本当に好きで、祖父が亡くなる前に在宅療養をしていた時、ヘルパーさんが手を握っているといって焼きもちを焼いていました。
亡くなる少し前、そこのタンスにお金が入っているからひ孫たちにお小遣いを準備してと言われたのに、タンスにはお金がありませんでした。
お金のことはしっかりしていたのにと思ったら間もなく帰らぬ人になりました。


人材派遣業のはしりの紹介業を創立して、100人以上の人をお願いしていた時もありました。
「人を使う時はその人に使われると思いなさい」
祖母が何気なく言った言葉ですが、心に残っています。
多くの人を職場(病院)に紹介していたのでいろいろな場面を見ていたのでしょう。

派手なことが好き、人に良くしてあげるのが好き、人当たりが良い、影響力が強い
明治生まれの祖母は、令和にも通じる才女だったと思います。

祖母のことを私の記憶にとどまるような覚書です。皆さんのおばあちゃまはどんな方でしたか?

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