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私の転職経験 涙の時代 2

話が戻りますが、息子が小学校1年生になって、辺境へ引っ越ました。
まず1年は慣れる(馴)と考えて
トライしたこと
1. 小学校のPTA役員(3クラス全員集まるパーティーを開催、お父さんお母さんそして子供たち。20人以上集まって楽しい会でした。)
2. ガーデニング、デザイナーをお願いして中庭と主庭をつくっていただきました。子供用に遊具を、パーゴラ、白樺と理想の庭をつくり、きれいな花も咲きました。
3. 家に子供がたくさん来た。一人っ子になった息子にお友達がたくさんできるように、毎日のようにお友達、女の子も男の子も、そして上級生たちも遊びに来てくれました。
4. 東京の大学病院への外来継続
5. 実家の診療所で整形外科の外来
優しい夫と可愛い息子、自宅では家事はお手伝いがいて、地域の事情も教えてくれます。
毎日子供たちが遊びに来てくれるのでいっそ公文の教室でも始めようかと思うほど。
また、庭造りで知り合ったガーデニングデザイナーの方は気の合う方でそれから長いお付き合いになりました。
多くのものを得ながら何か自分がいるべきところではないかのような疎外感がありました。

春には張り切っていたのですが、寒くなってきて雪が降って、事由に来るまでの外出ができなくなってくると苦しい思いがつのってきました。

夫の診療所も波に乗ってきて、患者さんが多い時夫から手伝ってほしいと電話が入ります。
忙しいのか、次第に当然のように扱われて、「混んでる、ブチッ」のような電話で呼ばれて傷つきました。あなたの犬ではないです!

雪が降ってくると、車で自由に外出しにくいし、吹雪のような雪だからとショッピングセンターにゆっくりしていたら、あれが吹雪なんですか?なんてバカにされたように言われたことも。

既にこう感じることが自分の心を痛めつけていたんだと思います。
それでも一年は何とか過ぎていきました。

仕事を変えるか家庭を変えるか選択した時の思い出を書いています。

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