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私の転職経験 涙の時代4

リハビリテーション科医師の仕事を見学
自分は何をしたいのか?

夫と一緒に参加した東北の地方会で、近くの病院で働くリハビリテーション科医を紹介していただきましたが、特に話題は盛り上がらず。恐そうな先生ばかりだなとかえって落ち込む始末。

心を閉ざす

息子は二年生になり、遊びに来てくれていた上級生の女子たち、私の話し相手になってくれていたのですが、彼女たちもスポ少などで忙しくなってきます。
ある日、「今日(息子の友達の女の子」誰も遊びに来てくれなかった」という私に、夫から「誰もお前みたいに暇じゃないんだよ」、この言葉がショックでした。
東京に行って大学で外来や研究、実家を手伝っているのは遊びだと言われたときもあり、ますます苦しくなってきていました。東京に行ってほしくなかったのかな。
小学校のPTA役員やお母さんたちと話をしても、何かすれ違うものを感じているときでした。私の友達ではなく、夫の知り合い、息子の母親だったんですね。
実家の両親に話したこともありましたが、心配させると思うと特に父には、文句を言ったら、すぐに帰ってこい、就職口も見つけるぞと言われそうな気がして。おどけてふざけたようにしか話せなかった。

病院見学


でも、9月になって、とある病院のリハビリテーション科のA先生から電話があったのです。「病院を見学に来ませんか?」

さっそく見学してみると、昔の療養所スタイルの病院です。長い廊下で各病棟がつながっていて、昭和40年代設立当時からの一番古い病棟に脳卒中の患者さん達が入院していました。また、訓練室は広いけれど療法士さんたちは合わせて5人。でもセラピストたちが働いている現場を見られたのが嬉しかったです。

某先生から私がリハビリテーション科専門医であること、臨床研修を重ねてきたこと。また、大学の先生からも東京から私が引っ越して当地に住んでるという話を聞いて見学に誘ってくれたのです。一人で仕事が回らず、医師を募集中と話してくれました。
当時の院長先生は高名な脳神経内科の医師でしたが、リハビリテーション分野でも有名な方でした。また、奥様も他の病院でお仕事されていて、女性医師を色眼鏡をかけずに見てくれる方でした。
辺境でもリハビリテーション科の医師が働いていることはとても励まされました。
お二人とお話してとても楽しい時間が過ごせたし、家に帰ってからも興奮が続いていました。(覚えていないけれど夫は面白くなかったと思います)

そうしてさらに季節は進み、二回目の冬は大雪になりました。続く

仕事を変えるか家庭を変えるか選択した時の思い出を書いています。


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