ママは長生きするために家にいるんじゃない
母が自宅に帰ってきて2ヶ月が経とうとしている。
最初の10日間は食も細く、尿が出ただけで嬉しかった。
母も繰り返し、今度は死ぬと思った、お家に帰れて良かった。酷い目にあったなど話していた。
そのあとは入院していたことを忘れたのか、入院中の思い出は話さないようになった。
それよりも、自分の小さい頃の思い出(80年前)山形に住んだいた時のこと(60年前)自分も伝え聞いたような両親や祖父母の話をするようになった。
先週は暖かくなったら山形に行くわと言ったり、気をつけて帰ってね。と心配りを見せるようになった。将来のことを話すということはまだまだ元気でいるつもりと少し胸が切なくなった。
でも客観的にみていると、浮腫があり、心不全が悪化していると思っていた。
イオン飲料、ゼリーをまるで薬のように飲ませていたので、心臓によくないなと感じていたが、母が孫が世話やいてくれるのを嬉しそうにしていたので、こういう時間が大切と思った。
ベッドをあげるだけで苦しそうな息遣いになるけれど、自宅での生活を楽しんでいるように見えた。
点滴も鼻のチューブやそして抑制もない自宅の生活。
そして、世話を焼いてもらえるそれは高齢者には理想。
この数日、数週間を楽しんでほしいと祈りながら眠りにつく日々。
地域の介護支援者には大変感謝しているけれど、母はその人たちに良い顔するために自宅に戻ったのではない。
言いたい時に言いたいことを、食べたい時に食べて、食べたくない時は無理に食べない、そんな生活をさせたいと思って決断した在宅療養。
だから、母は長生きするために自宅に帰ったのではないの。
自分の人生をまっとうするために帰ったジェーンエアなのだ。
追記
こう書こうとしていたら、実家から連絡があり、救急車で搬送されて、元いた病院(恐ろしい)に連れていかれたらしい。私たちの気持ちが一部の家族伝わらず残念で辛い。
私は新幹線で実家に向かっている。
人間簡単には死ねない、苦しみを超えなければならないのか。
母の命は苦しさの中、続いていく。
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