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適応障害1周年記念

適応障害になって1年が経った。
わたしの2023年の漢字を選ぶとしたら「病」であった。年始に適応障害になり、年末には14年ぶりのインフルエンザになった。

適応障害の原因は明確に仕事だ。
わたしの働く業界は繁忙期と閑散期がはっきり分かれている。繁忙期の負荷をわたしは扱えきれず、適応障害となった。

適応障害の診断書を出してから、上司からの配慮はあった。まず2週間の休みをもらった。有給を使っての休みであるため、厳密には休職ではない。
職場復帰にあたっての医師からの条件は残業がないことだった。それを上司に伝えると残業をさせないように配慮してくれた。

そうこうしているうちに閑散期となった。
閑散期になれば適応障害も治るだろうと思っていたが、そう甘くはいなかった。繁忙期にあったような頻繁なパニック発作や激しい蕁麻疹はなくなったが、あくまで頻繁ではなくなった、というだけで起こることには起こる。

閑散期の夏はゆっくりとリフレッシュできた。
パニック障害で電車に乗ることに不安感があったが、なんかもうめんどくさいので飛行機に乗ってギリシャに行くことにした。乗り換え先のイスタンブールまでの10時間の飛行機に耐えられたのなら、わたしはもう電車にもバスにも負けないだろう。「これはいけるかな?」「これは大丈夫かな?」とチマチマ確認するのが性に合わないため、一か八かの長時間飛行機に乗ってみることにした。イスタンブールまでご機嫌にたどり着けたのでこの勝負はわたしの勝ちだ。

無理をするのはよくないが、こうやって成功体験、「わたしはこれが大丈夫だった」という実績を積み重ねることは大切だと思う。それにやって未来の自分が励まされることがあるからだ。あのとき大丈夫だったのだから、次もたぶん大丈夫だと。

秋になるとふたたび繁忙期に入った。
業務量は相変わらず多い。上司は「引き続き残業はしないように、無理しなくていい」と言ってはくれる。言ってはくれるが、業務量は減っていないので、締め切りまでに仕事を終わらせるなら残業が必要だ。一旦残業なしで締め切りを破ってみて、上司がなんと言うか様子を見てみたいと思う。

冬も相変わらず忙しかった。夜23時まで働くことが増えた。
今のところ適応障害の悪化は見られないが、この調子で進むと嫌な予感がしている。どこかで適当に手を抜くつもりだ。わたしが倒れたら上司や職場だって困るだろう。締切を一回破られるよりも困るはずだ。

適応障害は一応は緩やかに治ってはきた、という感じだ。
しかし、負荷がかかればいつ悪化するかわからないという緊張感がある。
負荷をかけるとまたああなってしまう、という負担感のために、予防線を引き、全力を出しきれないのは、それはそれでわたしにとっては不幸でありストレスだ。こんな心配などせずに自分が出せる力を全て出せることができたらどれだけスッキリするか。

適応障害になったせいで、「適応障害を言い訳にして勘弁してもらう」というコマンドが自分の中に増えてしまった。
いや、もしも適応障害の他者が適応障害が理由で色々なことができないのは当たり前、むしろ安全に倒して少しでも安らかに過ごせるよう自他で配慮すべきであよつと思う。が、自分のこととなるとそうはいかないのだ。他人の悩み事にアドバイスはできても、自分の悩みは延々と悩み続けてしまうことに似ている。

何かに挑戦したいときに「適応障害」という不安要素が頭をよぎるのが自分の中で不愉快だ、という話だ。

今も心療内科に通い続けている。
心療内科の先生にはとてもお世話になっているが、正直心療内科の出費ほどテンションの上がらない出費もなかなかない。この4,000円を本当はもっと楽しいことに使いたい。

精神的な病は治そうと思えば治る性質のものではない。
2024年は適応障害を治します!と宣言したところで、それが叶うか叶わないかは神のみぞ知る。

適応障害2年目は、一旦飛行機に飛び乗ればなんかなんとかなった、という成功実績を積みたいと思う。たとえ病が治らなくても、その成功体験はいずれ何かのタイミングでわたしを救うだろう。救い預貯金はあるに越したことがない。

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