見出し画像

名付けについて

そのことばはあなたが人生で最もよく聞くことばだが、あなた自身がそのことばを言うことはほとんどない。そのことばとは?

はい、答えはあなたの名前です。あなたは毎日あなたの名前で呼ばれるけれど、自身の名前を口にする機会はあまりありませんよね。

といったクイズなのかなんなのか、車のラジオで聞いたことを覚えている。たぶん小学生だか中学生だかの頃だ。
いや、自分の名前を口にする機会はそこまで少ないわけでもないんじゃないか?ちゃんと自己紹介しなよとそのときは思った。今でも思う。

 わたしは自分の名前にコンプレックスがある。変な名前、というわけではない。名前がわたしに似合ってないのだ。わたしの名前はやわらかい雰囲気のかわいらしい名前だが、わたし自身は進撃の巨人のミカサに似ているとよく言われる。身長170cm体重70kg、ミカサほど立派なシックスパックではないものの腹筋も割れている。ミカサの名前がもしユリコだったら「なんかちょっと合わないなあ」と思わないだろうか。わたしとわたしの名前にはそんな感じの合わなさがある。

 ところで、アイヌには、生まれた子どもが少し大きくなってから名前をつける風習があるらしい。
 生まれたときは、悪いものが寄ってこないように汚い名前をつける(「クソの塊」「祖父の尻の穴」など。ゴールデンカムイ参照)。そして、その子どもが少し大きくなってから、その子の性格や起こった出来事を考慮して本当の名前をつけるそうだ。

 素敵な風習だなと思った。少なくとも、産まれる前あるいは産まれた直後にえいやと名前をつけるよりも、その子のことをよく見て、その子に合った名前をつけてあげるほうがわたしは愛を感じる。
 もしこの風習が現代日本にあれば、「真実はいつもひとつ!」が決め台詞の江戸川コナンもとい工藤新一は、きっと工藤「真」一になっていただろう。

 このような名前の後付けの風習がアイヌ以外にも見られるのかを調べたところ、他の国の少数民族でもちらほら見られるようだ。理にかなっている風習は世界中で見られるものである。

 もしこの風習が日本にもあったとしたら、両親はわたしにどんな名前をつけるだろうか。少なくとも今の名前はつけないだろう。かわいらしい響きの名前ではなく、もう少しかっこいい感じの、性別問わず使えるような名前にしたのではなかろうかと思う。

 話は変わるが、コロナ前に香港へ旅行に行った。
 空港のスターバックスで名前を聞かれたから答えた。いざ商品を受け取ると、カップにはHarriet(ハリエット)と書かれていた。わたしの名前と全然違う。どの文字も合っていない。
 でもハリエットなんて洒落た名前だなあと思った。物静かだけれども決して臆病ではない、ちょっといいとこのお嬢さん、といった香りのする名前だ(少なくともわたしにとっては)。

 ハリエットのその響きをわたしは気に入ったから、なにかSNSでもなんでもいいけれどニックネームやハンドルネームを登録するときはハリエットにしようとそのときは思った。
 しかし、そのことを忘れて全然違う名前でSNSに登録している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?