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2月1日。と聞いて、それが「東京・神奈川の中学受験初日」と結びつくのは何%くらいの人なんだろう。

2022年なにか新しいことを、と思っているうちに1月が終わってしまって、2月1日からnoteを始めることにしました。
週に1記事くらいのペースで長く続けられたらいいなと思っているので、誰かが読んでくれて暇つぶしにしてもらえたら嬉しいな。

初投稿は気張らず日常のつぶやきを淡いタッチで描きたいところなのだけど、2月1日は私にとって一生忘れない日になっており、目がチカチカする原色な思い出も時がたって少し色あせてきたところなので、書きはじめてみるとしましょう。

2月1日。と聞いて、それが「東京・神奈川の中学受験初日」と結びつくのは何%くらいの人なんだろう。
恐らく受験した本人も、受験生の父親も、祝日でもないし、まだ節分でもないよね、位の意識だと思うけど、我が子が中学受験をした母親は一生忘れられない日だと思う。そのくらい母親が強烈に関わるのが中学受験。

去年の秋クールに「2月の勝者」という中学受験を題材にしたドラマがあったけれど、この手のドラマってたいがい誇張されて描かれるものだけど、あれはリアルに近かったと思う。もっと過酷な話もあると思う。
うちは中学受験塾で有名なNとかサピとかではなく、地元にある寺子屋的なちょっとクセのある塾長以下ベテラン3人で広告とか一切なしの塾だったから、成績順の席順も、塾弁も、必勝ハチマキもなかったけど、6年生が毎月模試を受けて、週3日21時まで塾にいって、その日解いた算数をもう一度解いて23時までに塾にFAXするとか、母親は模試で間違えた問題の類似問題を探してコピーして、、やはり特殊な世界だった。
志望校を決めた直前期には、早稲アカのNN志望校別講座っていうのに参加したんだけど、「NN開成」とか「NN桜蔭」のNNって「なにがなんでも」の略なんだよ。今思えば笑っちゃうんだけど、当時は大まじめにNNだった。

畑に囲まれたのんびりした小学校だったにもかかわらず、何故かその学年は受験する子が多く、子も親もわりとオープンに受験を語っていたし、模試のたびに成績上位者として冊子に名前が載る同級生が学校近くの公園のいちばんの常連だったから、みんな学校が終わったら公園でサッカーして、17時の鐘がなったら一目散に帰って、塾の宿題やって塾へとんでいくっていう、世間が想像するような「教育虐待」の世界ではなかったけれど。ちなみに公園の主は、その小学校初のツクコマへの期待は残念だったものの、御三家に合格し、いまは東大生。

そんな中学受験の初日が2月1日。
そしてたいていは2月1日が本命校。私立中学に合格しなくても、近くの公立中学へは無試験でいけるのだから、本命、第2志望、第3志望くらいで十分なはずなのに、親も子もNNだから。
結局1日から4日までの4日間で6校受けた。国算理社×6校。
今は変わっていると思うけど、当時はまだ願書と受験料は学校に出しに行くのが主流で、合格発表は翌日に校内に掲示するパターンと当日夜にネット発表パターンが混在していて、1日や2日の合否によって4日はさらにチャレンジ校を受けるのか、それとも合格可能性が高い学校を受けるのか、ココに受かったら入学金を翌日までに払わなくちゃいけないとか、そもそも6年生がひとりで1日2校を電車乗り継いで向かうのは無理なので、親の付き添い必須で、その間に合格発表も見に行かないといけないし、追加で願書出しに行かなきゃいけなかったり、、場合分けのフローチャート書いた。

本命2月1日午前校の合格発表は、2日の午前校が終わり、午後校への移動中に校内掲示を見に行った旦那からの携帯電話で知った。
合格していれば2日の午後校は受験しない予定だった。「番号なかった」という短い報告のあと、本人には「さー、午後も頑張っておいで~!」と見送り、その後控室で泣いた。

4日間で2勝4敗という結果ではあったけど、笑顔で終え、入学手続き、制服採寸全て終え、次の週末にお正月に行けなかったおばあちゃんちへ行き、お祝いをしている最中に私の携帯が鳴った。
1日午前校からの繰り上げ合格の連絡だった。

NNが叶った、がW入学金・・・泣いた。


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