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父が雨男を返上した日

(お別れの話です。苦手な方は読まないでくださいね。)

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じいじ、雨男だもんね

と娘のりす子が口にしたから、私はクスリと笑ってしまった。

二日続いた初夏のような五月晴れが影を潜めて、しとしとと雨が降り出したのは通夜の数時間前のこと。

その夜は、明日大丈夫かなと思うほどの豪雨になり、翌朝も天気予報通り雨はやまなかった。さすが雨男だわ、と妙な感嘆の気持ちと微笑ましさと、複雑な気持ちで、最後のお別れをして、出棺となってみると、雨がぴたりと止んでいる。

車で10分ほどの斎場に到着する頃には青空が見えてきた。

数年前にできたばかりの市の施設は、父が生まれ育った町を一望できる山の中腹にあった。真新しくとても美しい建物で、入り口を進んでいくと、大きなガラス窓の向こうに美しい富士山が佇んでいた。参列してくれた方達が歓声をあげるほどで、この景色の見える場所で、父は旅立つのかととても嬉しかった。

お父さん、雨男をとうとう返上できたね、とその景色のおかげで、家族全員が明るい気持ちに包まれた。

別れはもちろん辛い。悲しい。けれど、賑やかで朗らかだった父には、私たちが笑っていることが供養になると信じる気持ちに自然になっていた。だから、父を待つ間、富士山を眺めながら、みんなそれぞれに笑顔になっていた。

父が他界しました。急変は突然で、とうとう冷たい水を飲ませてあげることができませんでした。悔いはたくさんあります。それでも、耳は最後まで聞こえてますからという看護師さんの言葉に、心拍が停止した後で、「ありがとうね、また会おうね」といった私の声に、父がぎゅっと目元を動かしました。自然現象なのかもしれません。でも私には「またな」といったような気がしました。

四週間ほど前に父が夢に出てきました。手術の後血圧が下がってしまい、機械で生かされているような父を目の前にしていた夜のことでした。入院した日に来ていた服を着て、元気そうにすっくと立っていました。

「わ、お父さん、こんなに早く元気になったの?」

と思わず抱きついて、よかった、よかったとわんわん泣きました。朝目が覚めて、正夢になるようにとこの夢の話は誰にもせずにずっと来ました。葬儀の席でしようかなと思ったのですが、涙になってしまうので、未だ誰にも話していません。

今、父をようやく家に連れて帰って、遺影の父を見るたびについ微笑んでしまいます。病院にいる時よりも、ずっとほっとしています。もちろん悲しいし、寂しいし、正直いってこんなに泣くとは思っていなかったけれど、今、父はやすらかで、ここにいると感じると、変な安心感に包まれています。

父らしかったな、と思うからかもしれません。

ジャビットくんも飾ってみました
さよならは言いませんでした。
ありがとう、またね。

個人的な話なのに、ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます。自分の今の気持ちをどうしても書き残しておきたかったのです。少ししたら非公開にするつもりですが、先日父にありがとうがいえないという話を書いた際に、たくさんの方にお心を寄せていただいたので、ご報告の意味も兼ねて書きました。

読んでいただいただけで十分ですので、コメントは控えさせていただきますね。
(コメント欄を閉じようと思ったのですが、有料会員でないと閉じられないのですね)

安心してくださいね。私は元気にしています。
きっとすぐにけろっと戻ってきます。父への気持ちの不思議な変化をまた書き残したいと思っています。

いただいたサポートは毎年娘の誕生日前後に行っている、こどもたちのための非営利機関へのドネーションの一部とさせていただく予定です。私の気持ちとあなたのやさしさをミックスしていっしょにドネーションいたします。