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苺 #シロクマ文芸部


日曜日はシロクマ文芸部。
小牧さん、いつもありがとうございます。

🍓

 舞うイチゴ、という言葉がこの町にはありました。イチゴが舞う?とお思いでしょうね。ボールいっぱいの苺を抱えていたら、そそっかしい人がつまずいて、苺が空を舞ったところを思い浮かべてしまったりされたでしょうか?

 扶美代はイチゴの里と呼ばれる町の苺農家に生まれました。いち、ごの間をとって、ふみよと名づけたのは、明治生まれのおじいちゃんでした。なにしろ、扶美代は一月五日に生まれた、苺の申し子のような子でした。苺農家はその時期ちょうど忙しく、扶美代は竹籠の中に寝かされて、苺の匂いを嗅ぎながら育ちました。

 この町では、稲刈りが終わった後、苺の準備が始まります。そうして、冬になる頃には、田んぼには苺ハウスと呼ばれるビニールハウスが並び、夜にはライトが灯されました。その夜景は山から見ると光がたくさん横たわっているようでとても美しいと評判になるほどでした。

 「どうして一晩中灯をともしておくの?いちごは眠らないの?」
扶美代にとって苺たちは家族同然でしたから、夜になっても明るいままで過ごす苺たちの暮らしが不思議でした。するとおじいちゃんからこんな答えが返ってきました。
「苺たちは寒いところから、暖かいハウスの中で、ライトに照らされていると、春がきたと思って一生懸命美味しい実をつけるんだよ」
 その言葉を聞いて、扶美代は自分でもよくわからない切なさを胸の奥に感じました。大切な苺たちをダマしているような気がしたからです。そして、その日に舞うイチゴの意味を知りました。ライトに照らされて艶やかで瑞々しいイチゴになっていくさまは、まるで舞台で輝く踊り子のようだという意味だったのです。

 そうこうしているうちに、扶美代はそれなりに胸ときめく青春時代を迎え、町を出て大学にも通い、そうしてまたここに戻り、地元の町役場に勤めることになりました。さらにそうこうしているうちに、窓口で見初められて結婚、とんとん拍子に二男一女に恵まれました。いつの間にか五十一歳に。たくさんの出来事はありましたが、飛ぶような歳月でした。それなりに幸せで、それなりに平凡で、少しだけ退屈な、舞えなかった苺のような人生だなと、扶美代はふと心に痛みを感じるようになっていました。

 一方で大好きなおじいちゃんは九十八歳になっていました。ほんの半年前までは畑に行って苺の様子を見たりしていましたが、庭先で転んで入院してから寝たり起きたりの生活で、ここ数日はめっきり衰弱し、うつらうつらとしていました。扶美代が日に焼けてくっきりとシワの刻まれたおじいちゃんの寝顔を眺めている時でした。突然パチリとおじいちゃんが目を開けてこう言いました。
 「あったかいイチゴが食べたい」
 「あったかいイチゴ?あ!ハウスのね?」
大急ぎで、ハウスに行って、苺を取ってくると、おじいちゃんの口に運びました。真っ赤な苺をほんの一粒食べると
 「うまい。舞うイチゴだ。扶美代も舞うイチゴだ。」
そう言って、おじいちゃんはとても満足そうな顔をしてまた眠ってしまいました。

 扶美代は今日も笑っています。おじいちゃんが残してくれたあの言葉を胸に。

🍓

今回も大変苦戦いたしました。とほほ。
諦めかけたのですが、トラオさんがWi-Fiのあるカフェに連れ出してくれて、苺のスムージーを飲みながら、書きました。

イギリスのイチゴはどうやって栽培されているのかなと調べてみましたら、路地栽培なんですね。ですから、旬はこれから、夏なんですって。きゃー🍓食べ逃してなかった!

🍓

春ピリカグランプリへご応募のありました111作品を全て2回づつ読み終えました。読み終えたらシロクマ文芸部に参加しようと心に決めていたのですが、素敵な作品ばかりで、とても刺激的。たまたま散歩の途中にこんな家の前を。うふふ。

111って
指みたいだねと
どなたかがおっしゃってました🖐️

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