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眠れない夜の処方箋 #シロクマ文芸部

 消えた鍵のことを考えるのが眠れない夜には一番だわ、と清子さんはぱちりと目覚めました。カーテンの影から細く漏れ出す朝を見つけてほっとしながら。

 長いこと住んでいた小さな家から引っ越すことになったのは、大家さんの事情からでした。猫の額ほどの庭に猫が遊びにくるそんなささやかな家を、清子さんはとても愛していました。ある日突然、大家さんから申し訳なさそうに立ち退きを伝えられて、ショックで打ちひしがれたのも無理はありませんでした。ですがそれも、代わりにどうか、と紹介された家を見たら吹き飛びました。

 その家は、少し丘を登った木立の中にありました。猫の額ほどの庭は、猫二匹の額ほどに広がりました。間取りは以前とほとんど同じでしたが、キッチンに宇宙船のような丸い窓がついていましす。そして何より、小鳥のさえずりが聞こえてきます。清子さんはすっかりその家を気に入って、張り切って引っ越しをしてきたのです。

 荷物をまとめているときに、引き出しの奥から、古い日記帳が出てきました。清子さんが20年ほど前につけていた水色の表紙の日記帳です。それは鍵付きのものでしたが、その小さな鍵を無くさないように、日記の後ろ側にテープで止めてありました。見つけたときには思わず、
「鍵をかける秘密の日記帳のくせに、鍵がくっついてるなんて!これで無くさない!良いアイデアだとほくほくしたんでしょうけどね、私ってば。」
と自分で自分につっこんでしまった清子さんでした。鍵をかけるほどの日記だったというのに、何を書いたのかさっぱり思い出せません。新しい家の庭で、椅子を出して読むことにしようと引っ越し荷物の一番上にしまいました。

 新しい家での生活にあっという間に馴染み、この家と出会ったのは運命だったとまで思うようになった頃、清子さんは例の日記帳を読むことにしました。庭に折り畳みのデッキチェアを出して、日記帳の鍵をさあ開けましょう、というところで、
「やっぱり、コーヒーがなくっちゃね」
と台所からコーヒーを片手に戻ってきたところ、日記帳の上に置いた鍵が見当たりません。あれ?ポケット?あれ?台所?と自分の記憶が適当すぎて、あらゆるところを探してみましたが、さっぱり見つけることができません。拍子抜けというよりは、背中の手の届かないところが痒いようなむずむずした気持ちでしたが、鍵がないのですから、読むことはできず諦めました。

 それから何度となく、あちらこちら探したり、ポケットをひっくり返したり、テーブルの下を覗き込んだり、思い出しては探していましたが一向に見つかりません。清子さんご本人は「清子七不思議の一つにしようかしら」とか至って呑気です。ずっと眠っていた日記帳に何が書いてあったのかは知りたい気もしましたが。

 清子さんはお夕食の後はハーブティを飲みます。カフェインをとると眠りが浅くなって、夜中に目が覚めてしまうようになってからの習慣でした。ですが、夜のおやつと一緒に、たまにコーヒーを飲んだり、緑茶と飲んだりすると、真夜中に目が覚めてしまいます。そんな真夜中のことでした。パチリと目が冴え冴えと、こりゃ眠れそうもないと思って右を向いたり左を向いたり寝返りをバタバタと打っていましたが、ふと、あの消えた鍵のことを考え始めました。

 きっと小人のトッテンコロリーさんが持っていったに違いないわ。あの鍵にぴったりあう鍵あなの玄関ドアを作って、新築の小人ハウスに取り付けたんだ。トッテンコロリーさんの奥さんの名前は、スッテンコロリーさんでしょ。それから、子供の名前は… zzzzz

 その次にまた眠れない真夜中にもまた思い出したように消えた鍵のことを考えました。

 あれは魔法の鍵だった。鍵穴を覗きながら「シチテンバットー」っていうと、自分と真逆の自分がいる国に行けちゃう。そこでは私も瞬足で、物覚えもよくって、仕事も締め切り3日前には納品できる。帰ってくる時はやっぱり「ナナコロビヤオキ」っておまじないかなあ、それとも「ナナバンバッター」かなあ、いやいやそこは…zzzzzz

 そんな風に眠れない夜には、今までは宝くじが当たったらどうしようかな、と考えることにしていた清子さんでしたが、それ以来消えた鍵のことを考えるようになりました。

 その前夜は「鍵から手足がにょっきり生えてきて、鍵王国対抗リレー大会の選手となった日記鍵子さん」について考えながら眠りにつきました。消えた鍵のことを考えるのが眠れない夜には一番だわ、と清子さんはぱちりと目覚めました。カーテンの影から細く漏れ出す朝を見つけてほっとしながら、ふわっと大切なことを思い出しました。それはあの日記帳に書いた内容の断片でした。そうだわ、そうだった、と日記帳を取り出して眺めます。どうしてこんな大事なことを今のいままで忘れていたのでしょう。(それは多分清子さんだからですけれど)

 「あなたは一番辛かった頃の私。開かないままよかったのね」

 清子さんはそうつぶやきました。手をその水色の表紙にそっと重ねて、まるで親友に話しかけるように。

 その頃、キラキラしたものが大好きなカササギの巣では卵の横に小さな鍵が横たわっていました。


小牧部長、今週も書くことができました。
いつもありがとうございます。

「消えた鍵」という言葉で、「これは、これはもしや、初めてのミステリーに挑戦する機会が来たのか?」とワナワナしましたが、それは流石に私にはエベレスト級で無理だったようです。

いただいたサポートは毎年娘の誕生日前後に行っている、こどもたちのための非営利機関へのドネーションの一部とさせていただく予定です。私の気持ちとあなたのやさしさをミックスしていっしょにドネーションいたします。