蔵治お爺ちゃん
償却債権取立益は回収不能と処理した債権を、当期に回収したときの勘定科目だが、日常生活では凄く嬉しい出来事だと思う。
車の中を掃除していたら、五百円玉が出て来た。
知り合いがいないので帰ろうとしたら、細川バレンタインが現れた。
キリスト教の【迷える仔羊】も、そういった類の出来事ではなかろうか。
いずれも「諦める」という過程を通らなければ成立しない。
蔵治お爺ちゃんは、遠い親戚だ。
子供の頃、よく公園で遊んでくれた。
鬼ごっこは、いつも僕の勝ちだった。
12年前、癌で療養中の蔵治お爺ちゃんを、佐野市の自宅に見舞った。
布団の上のお爺ちゃんは、僕の名前を覚えていなかったが
『一人前になったか?』
と聞いてくれた。
お爺ちゃんが
『俺はもうダメだから…』
と口にしたとき、その場にいた全員が否定した。
「また来るから、元気でいてね」
僕はそう言ったのに、お爺ちゃんにはもう会えないと思った。
リニューアルした佐野市の日帰り温泉、『やすらぎの湯』に来た。
隣のテーブルのお婆ちゃん達が、地元の古い商店街の話をしている。
ふと、蔵治お爺ちゃんのことを思い出した。
時間もあるし、寄ってみようかな。
余談だが、スタッフの若い女性が男湯の脱衣所で作業をしていた。
僕は慌てて前を隠した。
蔵治お爺ちゃんの家に乾物屋の面影はなく、普通の住宅に変わっていた。
車を降りて呼び鈴を押した。出来ることなら生きていてくれ。
「ごめんくださーい」
人が来る。
蔵治お爺ちゃんだ!
生きてるどころか歩いてる。
『はて?声が聞こえたような…』
「とぼけんなよジジイ!」
嬉しさのあまり、口が悪くなってしまった。
歩み寄って握手を求めると、誰だか分からない僕に笑ってくれた。
長居は無用、手土産を渡してお暇した。
蔵治お爺ちゃんは99歳。
今度は本心で言えた。
「また来るからね」
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