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好きなものを好きと。

※長文注意

知人が小学生の息子の言動に悩んでいて
曰く「〇〇くん大好き!」とよく言うのだそうな。

これに対し知人は
「(男同士で好きなんて)気持ち悪いから何とかしたい」と。

ちなみに旦那さんはというと
「これからはそういうのもオープンにしていい時代だから気にしなくても」
と言われたんだそうな。

私からすれば旦那さんが圧倒的に正しくて
それというのも
はっきりと「気持ち悪い」と言った彼女は
その隣で傷ついている人がいることなんて
想像もしていないからである。

LGBTQの話に限らず
自分の好きなものを否定されたら
当たり前に人は傷つく。

納豆が食べられない私が
納豆が好きな人、生産に携わる人の前で
その不味さをきつめの調子で語れば
それはもちろん傷つけるだろう。

嫌煙家がタバコを吸う人に
やいのやいの言うのも然り。

漫画が好きというだけで
オタクだなんだと罵られた…なんて時代は
もはや過去の話という気もするが、

とにかく人は
嫌いなものを嫌いだとはっきり言うと
その分誰かを傷つける。

そんなのはいわば、
ヘイトスピーチというやつだ。

・・・・・・

嫌いなものを「嫌いだ」と言うよりは
好きなものを「好き」とはっきり言える
そんな世の中になった方が嬉しい。

少なくとも私はそう思っていて
その意味では圧倒的に旦那さんが正しい。
だから、その時
「旦那さんは立派なことを言っておられると思うよ」
とだけ言うに留めた。

しかしながら知人は
「息子が人から気持ち悪いと陰口を叩かれるのを避けたい」と。

うん。

それ、君が今してるやん???

私は二の句が継げなくなった。

なので、彼女との会話については
この辺にしておいて。

・・・・・・

好き嫌いは結局、
本能的なもの、感情的なものだ。

殊、LGBTQに関して言えば、
その理解の得難さは尋常ではない。

なぜなら、生理に直結する問題でもあり
また内容が多種多様であるのに対し、
人は社会的動物であり
多くの人は「枠に収まって安心を得る」。

規定の枠にハマらない商品が
売り場に出されず廃棄されるように
既存の型に当てはめられない他者を
人は無意識に恐れ、忌み嫌い、
あまつさえ排除しようとする。

無理解の持つ破壊力は凄まじく
「(なんか)気持ち悪い」という感情は
あっという間に共感され拡散され
言葉の刃が誰かを切り裂くことになる。

こういうのが、戦争の前触れだ。
嫌い、という感情が、
SNSで戦乱を巻き起こす大体の原因だ。

そんな世の中を作る大人に
私はなりたくないし、
知人にもそうなってほしくない。

・・・・・・

気持ち悪いと思ってしまう本能を
それ自体を取り消すことは不可能だ。
しかし、言葉をオブラートに包み
上手く身を躱すことは可能だ。
(私が知人にぶちギレなかったように…)

理解を求めることが難しくても、
そういう当たり前のマナーを守れる人が
多くなってほしい。

そして息子さんには
自分の「好き」を謳歌してほしいし、
「〇〇くんが好きな自分」を嫌いにならないでほしい。

時代が変わり法が許せば、
今好きな人と結婚できるかもしれない。
あるいは、
今の「好き」は子供時代特有の何かで
大人になれば異性と交際し結婚するかも。

そんな全てを
当たり前の出来事として許容できるような
素敵な大人になってほしい。

そして私は
そういう懐の深い社会を作っていく
大人の一員でありたい。

それでは、また。

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