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『ドライブ・マイ・カー』観てきました。

めちゃ久しぶりの更新。
かつ、めちゃ久しぶりの劇場鑑賞。

ぐだぐだと述べるのとフツーにネタバレあるので注意。

まず、
車窓、車内、車の遠景、車との距離感、など車を中心とした絵作りで、もうタイトル回収っぷりがすごい。
でも全く退屈はしない。

家福の昼ドラ展開だけで序盤からお腹いっぱいなのに、
何喋っても存在そのものがむかつくタイプの高槻が延々と人生の邪魔してくるし、
渡利の壮絶な人生は後半も観客にボディーブローをバシバシ決めてくる。

都会を離れ、自然豊かな広島や北海道に舞台が移っても、人生の暗がり…みたいなものはしつこくつきまとう。
でも、
最後にはソーニャのメッセージが愛を教えてくれた…そんな気がする。

劇中劇は、
多言語、手話を交えた挑戦的な舞台。
あらゆる問題に取り組もうとする意欲のようなものを感じた。

また、キャストも多国籍で、
そういえば同じく西島さんが出ていた映画『サヨナライツカ』も旅行会社員役で英語喋ってた気がするなーとぼんやり。
(その時もみぽりんとえちえちなシーンがいっぱいあったなぁとぼんやり)

車中で舞台の流れを確認する作業、面白いなぁと思った。
そして、そこで繰り広げられる会話劇が、家福を徐々に苛む様子もまた。

しかし、同じ車中で、
渡利との時間は、最初こそ一悶着あれど、最後は手放しで褒めるほど信頼する間柄に。
あの愛車は彼らを様々な場所へ連れていくし、彼らに不幸も幸福も運んでくる、完璧な舞台装置だった。
家福は、聞きようによっては呪いのテープかな?と思える音の声で、心の中を破壊され続けたし、高槻の言動にも二重三重に深刻なダメージをくらった。
何より、音への愛憎をしっかりと見つめ直す義務を、不倫相手からの箴言で容赦なく突きつけられたのは、観客的にもショックすぎた。
岡田将生マジ許せねぇ。(風評被害)

そして、運転をめちゃくちゃ褒められた渡利のリアクション可愛いかよと思った途端、明かされていく壮絶な過去。
母子家庭、DV、少年犯罪、精神障害など多くの社会問題が鮨詰め状態。
おまけに自然災害まで降って湧いて、彼女の人生をさらに過酷なものにする。
いやどんだけだよ。

そんな二人はやがて、
互いがそれぞれ、「家族を見殺しにした」という心の傷をさらけ出すことで、信頼以上の感情で互いを支え合うことに。

不出来だったり問題のシーンがあったり、どうなることかと思われた劇中劇も、ソーニャの愛溢れる説法で美しく終幕。
まぁもういいから幸せになってよ…。と私のガラスのハートは叫んでいたので、最高のエンドだった。
高槻は刑務所で✟悔い改めて✟

あとラスト、
わんこに向かって
西島くん!西島くん!?
って叫び出したくなったよ。
ねぇなんで?
西島くんイッヌになっちゃったの??
いやそんなわけないのだろうけれど!!
想像の余地を残す終わり方、嫌いじゃないわ!!

あと、北海道、
渡利の故郷に着いた瞬間の、
水底のような静けさ、たまらなかった。
ヤツメウナギがヤマガの部屋で感じていた、全てを包み込む、耳に聞こえるほどの静寂。
作中、沈黙は金です、という台詞があったが、その意味も、ここに来て胸に染み渡るようだった。

多言語の伝わらなさと、
言語が同じでも伝わらない思いを、
舞台稽古を通して好対照として垣間見せているのも印象的。
そして高槻は良くも悪くも「伝わらなさ」と「伝えたい衝動」を象徴する人物だった。

人はコミュニケーションを本質的に求めていて、水がなければ泥水を啜るように、言葉が出なければ暴力を用いてでも伝えようとする…という言説がある。
高槻の衝動的な生き方はその象徴であり、だからこその仕方なさ…のようなものと、同時に「それでも私達は、言葉を操ることで複雑なコミュニケーションを可能にできた『人間』なのだ」という矜恃を、私の胸に呼び起こした。
これについても、口では伝わらなくても別の手段を用いることを当然としたソーニャの手話が、希望の光となる。
全てに一旦絶望し、その全てに一匙の救いや希望を与えてくれる、そんな作品だった。

以上、
映画素人並の上滑りなものながら、感想述べさせて頂いた。
見応えのある、全く飽きのこない3時間(3時間!?)だった。

それでは、また。

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