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奈良・吉野の『金峰山寺』に近鉄特急で
高校時代の友人と大阪で飲んだ翌日に吉野に行きました。
久しぶりに京都にも行きたかったのですが、行儀の悪いオーバーツーリズムからは離れらるかなと考えた次第です。「人がいかないところに行く」
吉野でのお目当ては『金峰山寺』と近鉄の南大阪線・吉野線。近鉄と言えば標準軌(レール幅1435mm)のイメージなのですが吉野線は狭軌(同1067mm)です。調べてみると、もともと吉野軽便鉄道時代に木材の運搬のために貨車が国鉄に乗り入れていたため狭軌が採用されたという経緯がわかりました。「吉野口」駅は近鉄とJR西日本のホーム屋根の形が同じなのは何故だろうなど、気になることがたくさんあります。
そんな近鉄のローカル線で、前から来てみたかった吉野を訪れました。桜や紅葉の時期ではない平日にひっそりとした道を歩きました。
「大阪阿部野橋」→「吉野」へ特急で
地下鉄で天王寺まで早めについたので、少し時間を持て余しながら近鉄の「大阪阿部野橋」駅へ。残念ながら『青の交響曲』が検査で運休していたため、11:10発の特急の指定席を取りました。
ホームに入ってきたのは16000系特急電車。なかなかの老兵。今回乗車した16009編成は昭和52年製だそうです。
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昨日はあのてっぺんから明石大橋や大阪城の景色を眺めました
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近鉄南大阪線と吉野線、完乗です。
日本最古のロープウェイで山上へ
終端式ホームの「吉野」駅の改札を出て歩いて行くとロープウェイの「千本口」駅に着きます。ここから15分おきに出ているロープウェイで「吉野山」(山上)駅へ。このロープウェイは、現存するものの中で日本最古だそうです。(私が訪れた2024年6月時点では、金・土・日・月曜日のみ運行でした。)
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『黒門』と『銅の鳥居』
ロープウェイを降りてから山道を登りはじめ最初にくぐるのが『黒門』です。昔は公家大名といえども槍を伏せ、馬をおりて歩いたとなどと書かれた看板を読み、なんとなくお辞儀をして潜り抜けました。
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南朝の跡
行きと帰りの特急だけ予約し「金峰山寺に行く!」という目的を立て、少しだけガイドブックを読んだ以外はほとんど予習せずに吉野まで来ましたので、観光案内所で頂いた地図と各所の看板を頼りに興味の向くまま歩きました。
学生のころ教科書でさらっと習った「南北朝時代」の南朝があった場所に今まさに自分が立っているというのは不思議な感覚でした。急激な臨場感が襲ってくるような心持ちになりました。
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南朝の後醍醐天皇は、この吉野の山にどんな想いで来たのだろうか。北朝のことをどう考えていたのか、後世はどう評価しているのか。などと考えを好き勝手に思いめぐらせるのも一人旅の楽しさです。
銀河鉄道のバンドのゴダイゴは南朝びいきなのか、無関係なのか。後醍醐って後-醍醐なんだけど、醍醐ってどんな意味だっけ。メンタリストと北川景子さんの夫は醍醐と関係あるのか全くないのか、大文字と小文字の表記の違いは何か。思案を巡らせ放題です。
いよいよ国宝・世界遺産の『金峯山寺 蔵王堂(本堂)』へ
こちらに訪れるのが今回の旅の目的の一つでもありました。金峯山寺の『蔵王堂』は事前の予想をはるかに超えた大きさでした。400年以上も昔に建てられ今に至っているというのはすごいことです。
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せっかくここまで来たので、拝観料をお納めして堂内を見学し、座敷で正座してみました。高い天井のなか身が引き締まる思いになります。
政治も宗教も、我々ホモサピエンスどうしが無駄に争わないようにするためによくできた統治システムです。古来から巨大な施設に圧倒され、恐れをなしたり謙虚な思いになったりするものですね。
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吉水神社で義経を思う
次に吉水神社を訪れてみました。この神社にある書院(元𠮷水院)は、日本最古の書院建築だそうで、拝観料をお納めして中を見て回りました。
源義経と静御前が逃げて過ごした部屋が現存しているとのことですが、鎌倉時代から約1000年も残っているというのは感覚的に狂うものがあって、ここに義経公がいたのかという思いと、本当にそんなに古いものがあるのかというような思いがわいてきました。
大河ドラマの鎌倉殿の静御前て誰が演じたのかなども今は手元ですぐに調べられて便利です。
義経公が追手から逃れるためにさらに山奥に入る際、女人禁制だからと静御前とはここでお別れだったそうですが、そんな状況でも女人禁制は律儀に守らなければいけなかったのかななどとも思いました。
また、この急峻な地形の日本では、鎌倉時代は逃げるとき皆V字谷を上に上に行くのだなとも感じました。日光の湯西川に旅した時のことを思い出しました。せっかく落ち延びた里で鯉のぼりを上げて源氏に見つかったから、その地域では鯉のぼりはあげなくなったとか。以前の旅で学んだことともつながりますね。
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勝手神社と竹林院を見てからロープウェイに戻る
吉水神社を後にする頃には雨脚が強くなり、6月の初旬にしては肌寒くなってきました。花矢倉と如意輪寺にも足を延ばしてみたかったんのですが、次回桜を見るときにとっておくことにし、『勝手神社』と『竹林院』を見てから山を下りることにしました。
この『勝手神社』の境内は雑草が生えて打ち捨てられているような印象でした。調べてみますと、源義経と別れた後、静御前が捕まり舞いを舞った場所だそうです。この歴史ある神社の社殿は2001年に不審火で焼失してしまったそうです。酷い者が21世紀に酷いことをしたものです。
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一人で歩くこと。木の匂いや、鳥の鋭い鳴き声、雨の冷たさに、靴の中に入ってくる雨水の不快感。空気の重さや坂道を登ってきた疲労感。写真も動画も素晴らしいのですが、こういう感覚は、やはり現地に来ないと感じられないですね。体が動くときにいろいろなものに触れておきたいなと改めて思いました。
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「さくらライナー」をあきらめて16010系で大和八木へ
吉野からの帰りは、今日の宿泊先最寄りの「大和八木」駅まで以下の乗り継ぎを予約していました。
・「吉野」 17:33発 特急さくらライナー 「橿原神宮前」 18:13着
・「橿原神宮前」18:21発 特急ビスタカー 「大和八木」18:24着
しかしながら、雨で冷えた体で、オフシーズンの平日で人もまばらな「吉野」駅で1時間半列車を待つよりも、早くホテルの大浴場で体を温めたいという誘惑に負け「吉野」17:03発の特急に予約を変更をしました。
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やって来たのは老兵16010系。車内のガラスを結露させないためなのか冷房がとても強くさらに体が冷えることに。「橿原神宮前」で地下道を通って乗り換えた特急の車内快適でした。これなら「吉野」駅でもう30分待って『さくらライナー』に乗ったほうがよかったかななどと思っても後の祭りなのです。
とは言え、昭和50年代に製造された貴重な16000系、16010系が営業列車として走っている間に乗ることが出来たのはきっとあと数年で得難い経験になります。そういえば何年か前に大井川鉄道で乗ったのも16000系でした。
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でも「大和八木」までの乗車時間はたった3分
翌朝は『ひのとり』で名古屋へ
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翌朝は、中学校の頃の友達と会うために実家のある愛知県に向かいました。近鉄特急『ひのとり』に乗るのも初めてです。プレミアム車両から予約が埋まってしまっていたためレギュラーシートを予約しました。結局レギュラーシートも含め、私が乗った土曜日の朝の『ひのとり』は満席でした。
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雨の吉野を歩いて感じたこと
小学生の頃に習ったことや以前の旅が、今回の旅と繋がったりするのが面白いと感じました。
また、旅の途中で疑問に思ったことを後から調べてみて興味深いと思ったのは、天皇家が万世一系であることが、南北朝時代のことと整合しないということで明治時代は結構タブーだったということです。後醍醐天皇をお守りしたのが楠木正成で、だから皇居の近くに立派な像が建てられているのかとかとか、吉野は仏教(密教)の修験道の山地なのに吉水"神社"があるのは明治時代の神仏分離によるものだとか、興味は尽きません。
旅に出た日: 2024年6月
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