そういえばごはんに興味がない

 飯に興味がない。
 安く上がればなんでもいいと思っている。嫌いなものはある。辛くて苦くてつんとするものは総じて苦手、酸っぱいものも苦手寄り。脂っこいものも得意でない。
 家族がまずくて食えないと辟易していた謎のおでん(今思えばあれは何だったのだろうか)が、普通の食べ物としか思えずぱくぱく食べていたら、馬鹿舌だねと言われた。から、たぶん馬鹿舌だろうと思っている。
 こだわりは、ない。いや、嫌いなものが多いし細かいので、その点はこだわりと言えるかもしれないが、食える範囲でうまいとかまずいとかあまり考えたことがない。5000円の肉と100円の肉とを比べてどちらがうまいかはわからないと思う。どちらも(腐敗や焦がしすぎがなければ)十分うまい。
 うまい、の閾値が低いのだろうと理解しているので、美味しい、という感想に嘘はまったくない。

 そんなわけで、「何食べたい?」が人生で一番カジュアルに困る。
 ない。ほとんど、ない。
 おそらく日本人の九割は私より食に興味があるだろう。それくらい、ない。
 腹は減る。しかしそれ以上に感じることがない。だから、ない。よく行くラーメン屋のラーメンが食べたいなと思うのは月イチで、ばっちり近所なので人を誘うことはない。結果、これを問われるような局面で返答できる要素はない。
 同じものが続いても問題ない。三食かぶっても感慨はない。毎日同じパンを食べても気にならないし、考えるコストが低いのでむしろありがたいまである。好きかどうかは関係がない。嫌いなら食べないし……
 辛いものしかない、等、単一の味を扱う店でなければ食えないものが全く無いことはないので、カレー屋以外ならどこでも文句はない。食えそうなものを探して食うのみである。

 食に関してふたつ、嫌なことは、無理やり食わされることと、一度決めたことを変更されることか。好き、とか嫌い、とかでなく、決定変更のコストが高いので、決定以降の変更は受け付けたくない。
 メニューを決めたあとで「ないんですよ」と言われるのが一番嫌なので、できる限りわかるようにしておいてほしいと思う(店の事情で無理なら仕方ないとは思うので、ごねるつもりはない)(そこまで食にコストを割く気もないし)。
 これは食の話というより、決定変更コストの部分が問題なのだろうと思う。本質ではない。

 一口くれ、は常識の範囲内なら全く問題ない。ただ、私に一口くれる必要は特にない。食べられない、嫌いなものの場合もある。「一度決めたものの変更」に抵触してストレスになるので、いらないということもある。ここ、あまり理解されないなと思うことが多々ある(たいていの申し出は善意であるので)が、まあ、理解はされなくてもいいか……と思っているので、特に気にしていない。

 あ、酒を飲まないのに飲んだやつと割り勘するのは解せねえなと思う。それはある。ただこれも食の本質ではない。

 という感じなので、食べたいものがある場合、言ってもらえるとありがたいなあと、いつも思うし、本当に本当にこだわりのない人類も斯様に存在するので、「なんでもいいよ」にそんなに怒らないでほしい。決定コストを押しつけている、と思う場合はそう言ってほしい。一緒に考えることはやぶさかでない。ただ、食に興味がある方が決めたほうが、食べたいものが食べられてHAPPYだろうと思うので、是非決めてほしい。本当になんでもいい。究極食べなくても、別に困らないレベルなので……

 そして書いていて思い出したが、旅先で「現地らしさを味わいたい」「低コストあるいは安心の味を求めてチェーン」等の争いに関して……本当になんでもいい、あまり高くないと助かる、意外の感想は、やはりない。
 ただ誤解しないでほしいのは、「あなたと食べる時間」には価値があるので、高くても、まあ別にそこまで気にしない。年下と食うなら付き合い代として奢るか、多めに払う見識はある。でも結局のところ、決めてほしい。こだわりはない。

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