『ローズの秘密の頁』The Secret Scripture
反骨の人ジム・シェリダンの『ローズの秘密の頁(ページ)』(The Secret Scripture/2016年/アイルランド/108分)は 逆に 子どもは帰ってくる 子どもは何処かに生きていると40年間信じて疑わない女性のドラマだった
老いたヒロインを演じるヴァネッサ・レッドグレイヴは まるで自分自身の時代を求めていないかのような 現在ではなく 遠過去と未来とを生きている
若き時代のヒロインを演じるルーニ・マーラが愛する男性を引き留める玄関での場面からの一連の演出が流石だが この一瞬に子どもを孕んだろうヒロインには同時に 終わりのない 一種の永遠が共存している
わたしはやがてその村を出て
遠くを彷徨いながら生きた
どこに行っても春先には不意に
喇叭水仙に会った
けれど本当の喇叭水仙の咲く場所はわたしだけが知っていた
中本道代「喇叭水仙」
一方では運動し(ルーニ・マーラ) 他方では不動で(ヴァネッサ・レッドグレイヴ) 時間のなかで展開しながら 永遠に引き延ばされている というふうに ローズの過去はラテン=キリスト教の「倫理」によって改良され ときには反対に実際よりも過酷なものになる彼女の記憶とは リアリティーの耐え難さをも克服させる
本作の見事さは ローズの侵犯行為について うまく切り抜け 折り合いをつけ 彼女の行為が気狂いではないと明かすところにある
『スリー・ビルボード』の手紙(遺言状)の目を覆いたくなる下手な処理にではなく 中本道代の傑作『接吻』に遥かに近いこの手紙の場所を 「わたしだけが知っていた」とローズならば言うだろう
この映画の時間の厚みとは別にリンクレーターは 『さらば冬のかもめ』のときにはまだ子どもが居なかったヴェトナム戦争世代の3人の男たちの誰かに子どもが生まれることで「死ぬ」という その孤独の基準値が変わったことを描き得たところだろう
子どもが「死ぬ」こと 親より先に子どもが犬死にしたことの恐怖が 映画を現在進行形の生の行動基準に変えてゆく
それは親ならばわかる変化だ
子どもの誕生とは 死ぬことに対する変化をもたらす
そして 子どもの死と埋葬とは 国家という家族の形式をも露にして行く
ブッシュやフセインという当時の大統領や子どもたちが映しだされるのは それゆえだ
アイルランドのシェリダンよりも アメリカのリンクレーターが俄然ジョン・フォード的なのは 神父になったローレンス・フィッシュバーンとその奥さん そして旧友たちとの再会の場面で さんざん苔にされるフィッシュバーンの描き方だ 一見 なんでもない場面だが ここに内在する変化と豪快な笑いにはフォードの遺構が濃厚で堪らない
PTAやウェス・アンダーソンといった監督たちは 何度も繰り返し「憧れの喪失」をモチーフにしてきた
単に家族内のというだけではなく 指針を見失った20世紀アメリカ像と重ねて家族を描いてきた
どこか苦く切ないものだったPTAのアメリカ像は イギリス的な湿度の中で大時代的なフォームを身につけて大団円に至り ウェス・アンダーソンは『ファンタスティック Mr.FOX』を頂点に 「喪失」後の近未来までを生き活きと描き出した人形劇を日米合作としてものにした(実際はアメリカ映画なのだが)
ではリンクレーターのアメリカ像はどうか
それは 苦くもなければ再生もしていない
不完全で面倒くさい退役軍人の中佐たちをそのまま愛したように(現役の大佐に楯突く元中佐という設定がいい) リンクレーターは 不完全で面倒くさい20世紀という時代は「いやまだだよ」(ノット・イエット)と呆れつつも受け入れているように見える
『アートライフ』で娘とお絵描きをしていたデヴッド・リンチ監督が先頃 トランプ大統領に宛てた公開書簡をここに当ててもいい
あなたがこれまでと同じことを続けるかぎり 偉大な大統領として歴史に名前を残す可能性はあいにくありません
これはおそらくあなたにとってたいへん悲しいことでしょうし 国にとっても同様です
あなたは苦しみと分裂を引き起こしています
我々の船の軌道修正をするのにまだ遅すぎることはありません
明るい未来に向けて あなたはこの国を団結させることができます
そうすれば あなたの魂も満たされるでしょう
偉大で愛情のある指導者のもとでは 敗者は存在しません
誰もが勝者となるのです
このことをあなたが考え 心に刻むことを望みます
あなたがすべきことは 自分がそうされたいと思うように 他人に接することなのです
この最後の一文
あなたがすべきことは 自分がそうされたいと思うように 他人に接することなのです
とは 加害の中に被害が移動しうる場所を示しつつ加害の側には影がないことをも暗示して諦めてもいる
『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』が『バット・チューニング』の精神的続編であるようには行かないところに 『ビック・シック』や『30年後の同窓会』や『レディ・バード』の映し出す現代があり 国家の思惑とは違った選択を繰り広げるその細部は 合衆国中心主義をシロアリとなって内側から空洞化している
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