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Victor ERICE on MIZOGUCHI Kenji “The John FORD of Japan”

Victor ERICE on MIZOGUCHI Kenji “The John FORD of Japan”
19min./2009 監督:宮岡秀行


ビクトル・エリセ―孤独の影―・改訂版について
宮岡秀行
スペインが生んだ世界的な映画監督ビクトル・エリセと、日本製のハンディ・カムを携えた私が、五年ほど前に撮影した短編のタイトルは「黄昏に問う」という。私たちがロケでマドリッドを徘徊する姿は、かの地で生まれたドン・キホーテとサンチョ・パンサさながらであった。そこから生まれた交友から今回のインタビューは実現した。制作会社からの、あまりにも急なオファーに加え(企画の立ち上げから完成まで一ヶ月にも満たないものだった)、何十年も前の作品(ミツバチのささやき、エル・スール)に関して、彼が新たな発言をするとも思えない。インタビューは実現しないのではないか。しかし今回も二人でカメラを据えるのであればと、私は再び飛行機にとび乗りマドリッドへと向かったのである。

カフェ・オリエンタルに、エリセは美しい女性詩人とともに現れた。“アミーゴ、ヒデユキ”と相変わらずの彼は、早速カメラを据える位置やアングルを検討し、フレームを決めていった。もちろんこちらが勝手に据えて撮っている箇所がほとんどであるが、準備も含めて約二時間という短時間のうちに、すべてを決定し、撮影されたのだった。

五年前にもましてエリセは、映画の創始者とされるリュミエール兄弟の発明したシネマトグラフにかえれと口にしていた。リュミエールの時代の映画の在り方にかえれというのではない。どのような映画も時代と相関関係にある、リュミエールのおかれた精神にかえれ、と言いたかったのだと私は了解している。経済組織としての映画界に落ち着くのではなく、かといって作家然として頑なに他人を拒否するのでもない。生きる上での楽しさや辛さ、あるいは頼りなさのようなものを他人と分かち合うために必要な時間を積み重ね、自分が作ろうとしている映画にかたちを与える。自分流の映画をつくる為に必要な道を自分で歩むこと。それが、エリセのおしえである。実際私が『ミツバチのささやき』(1973)のロケ地、オユエロス村へ行くことを、彼はドン・キホーテとサンチョ・パンサの物語に喩えて、「何かを発見する旅だ」と言っていた。私は旅の道連れと供に、アナとイザベルが駆け下りた小高い丘の上に辿り着いた。マドリッドに通訳を置き去りにした、この小さな旅は、この小高い丘を駆け抜ける風や土地に根をはる草のなかで一体となり、われわれを一瞬、無防備にした。いま思うと、このような護られていないちょっとした冒険は、映画のなかのアナやイザベルの年齢、幼年時代のそれであり、時々エリセが私に注ぐ視線は、まさにアナように日付のない眼差しであった。その丘の上からは、あの一軒家も、映画用に設えられた井戸も、既に望めなかった。しかしそこには、粉雪みたいに見えないくらい小さな二人の映画の光を求めた眼差しが、映し出されているだろう。

土地も地元の人々もまるで昨日のことのように物語を語り継ぎ、そこに三十年という時間の隔たりが感じられなかったとしたら、映画が伝える「時の鼓動」が今も生きているからだ。
エリセの視線を享けてインタビューの合間に挿入されるマルチ画面は、日本の若い映画作家三好暁によって、作られたものだ。この場面の編集は、今回マドリッドでエリセが見せてくれた、ニコラス・レイ監督作品"We Can’t Go Home Again"(1973-76)の記憶と、それ以上に三好の『シアワセの記号』(1998)の手法に連なるものだ。その中の、ふとしたエリセの表情に、「孤独の影」が過っていると思うのは私の錯覚だろうか。

――エリセの言葉や表情は彼の映像の如く端正だが、反面、クリスタルの結晶を見つめるような緊張をたたえている。もしリュミエールの精神が、現今の映画に何事かを寄与しうるとするのなら、彼の表情、つまり世界を初めて観察する眼差し、その時間に他ならない。エリセが提供してくれた南(エル・スール)の写真は、そのような眼差しに立ち会わせてくれる。

エリセはリュミエール以来、最も映画の現代を生きる人だと言っても、過言ではないだろう。
2000年6月25日

「ビクトル・エリセ スペシャルboxセット」(東北新社)ライナー・ノーツを加筆訂正

クライテリオン版 改訂箇所一覧
1- カットの差し替え(“「ミツバチのささやき」の遠景(ロング・ショット)”以降4カット)
2- 3つのチャプターのカットを新たなものに差し替え(1-on The Spirit of the Beehive(ミツバチのささやき), 2-The film speaks(映画は語る), 3-The Rules of the Game(ゲームの規則))
3- 最初のインタビューシーンで、最初から3カットを切る。
4- 音のバランスをすべてやりなおす(東北新社版は、東北新社によるMAだった為)
5- 英語字幕の監修を、宮岡とビクトル・エリセ自身が行う。
6- トータルタイムは48分30秒、これが決定版となる。

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