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祇園祭とイージューライダー

今度は約30年ぶり

今日は朝から次男の習い事で京都に来た。眠い目をこすりながらで電車の中でずっと寝てたけどしょうがないね。

地下鉄を降りて地上に出て驚いた。四条通りには立派な山鉾が鎮座していたのだ。そういえばもう祇園祭の季節なんやなあと。次男も初めて見たのでその威容に驚いてた。習い事終わったらよく観察してからかえろなといって送り出した。

祇園祭はよく考えるともう30年ぶりくらいやなと。阪急京都線に乗って大学に行ってたけど、この時期になると、梅田駅とかでも例のコンチキチンが鳴っていて盛り上げに一役買っていた。

1回生のあの日、出会ったばかりの妻と見に行ったなあと思い出した。バイトを始めたばかりでそんなにお金もなかったから、会うたびにどこに行こかなとか毎回頭を悩ませていたけど、祇園祭はベタやけど悩まなかったな。

どこからスタートしたのか忘れたけど、夕方すごい人の中をまず河原町のマクドに入って、通りを行き来する人いきれを見ながら、はあ~とため息をついて。マクド出たらそれこそもうむちゃくちゃ蒸し暑くて、結局、そんなに見ないでまた阪急に乗って大阪に戻ってダラダラしてたなと。帰りの電車は確かまだ空いていたような気がする。あんとき、まだ二十歳にもなってなかったんやなと今思い出すとなんだか切ない。

あの頃のヒット曲と塾講師のバイト

で、例によってあの頃のヒット曲を見てみる。1996年7月。愛の言霊やて。ぐわー。そして安室のYou're…my sunshine。アジアの純真。愛の才能はたぶん妻から岡村靖幸の家庭教師を借りてドはまりし始めた頃で、その岡村ちゃんがプロデュースしてるってことでこれまたはまった。岡村節というかなんというか。今聞いてもさびてない。川本真琴さんは最近の近影が隣の職場の意地悪な管理職に激似でちょっと辛い。私も意地悪されたことあるし。デビューアルバムは買ったから、アマゾンとかで聞き直せるならそれで今の恐怖体験は払拭したい。

そしてイージューライダー。ユニコーン、奥田民生もすごく大好きで、この曲はまた色々思い出すなあと。ソロデビューしたときの「愛のために」は前にもこのnoteのどっかで書いたかもしれんが、現役の受験が終わって浪人決まったときに、津田英語塾の仲間たちと豊中のカラオケに行ったときに歌った。カラオケは高2のときの小学校の同窓会以来2回目だった。初回もB'zの「easy come easy go」を満を持して唄ったらえらい高音のエンジェルボイスになってしまい、同級生から「やっさしいー」とバカにされてトラウマに。その揶揄した友人は小学校の頃、かなり仲良くて、後に駿台の後期で入り直した東大京大クラスで再会し、確か弁護士を目指して東大を目指してたが早稲田に行ったんだったか。その後、どうしてるかは知らない。元気なのだろうか。

脱線したけど「愛のために」を津田の仲間とカラオケで歌ったときも、今度は低温一本調子の全編お経。女子たちの「は‥は」って漫画みたいに音が聞こえてきそうなたじたじ感と、でも気を遣ってバカにはしなかったことを思い出すと、穴があったら入りたい、ていうか死にたい。浪人中には「コーヒー」という歌が流行ってた。ちょうど梅雨時に流れてて、「雨なのに~」っていう歌い出しが霧雨の降るなか、自転車で緑地の駿台まで走ってたことを思い出して懐かしい。

で、「イージューライダー」。さっきも書いたけど、このころは塾講師のバイトを始めたばかりだった。講師と言っても最初はテストの監督と簡単な解説をするだけの準講師からのスタートだった。講師になるには勉強会というのに参加して専任講師に模擬授業を見てもらって、見極めというのに通過して初めて授業を受け持つ講師資格がもらえるという狭き門だった。講師三軍制とか今でもホームページに書いているのを見るとこれまた懐かしい。でも今は学生バイトはだいぶ減ってるのかなという気もするけど。

バイトは4月の終わりから採用試験を受けて稼働していた。それから講師登用の勉強会もちょこちょこ受けて、講師配置の人から「夏期講習前に受かったら講師で夏期講習入れて稼げるから」と発破をかけられ、確か夏前には講師資格をもらえた。3ヶ月で登用されるのは異例とかもちあげられたけど、別に大して授業がうまかったわけでもなかったやろうし、学歴だけ見て使えると判断さはったんかもしれんし。とはいえ、生徒の前では年齢と大学名は言うなと厳命されてたから、それは関係なかったんかもしれないけど。

講師資格はもらえたけど、自分のレギュラークラスはまだもらえないわけで、夏期講習はふだん準講師として入っているところの夏期講習が中心。でも普段は5分くらいのテスト解説以外は採点とか配布くらいのテスト業務だったのに、夏期講習のときはテストの先生でも授業が15分くらいあった気がする。緊張したなあ。

夏はほんと暑くて、夏期講習は1時くらいからやから、中途半端な12時過ぎから教室に出勤するので昼も食べるタイミングがなくって。豊中教室の講師控え室はビルの先っぽの三角になっているようなところが事務所との棚で仕切られただけで狭くて。非常勤でももうベテランというか、何回生やねんみたいな主とかがいると、気を遣ってペーペーは机を使えず、隅っこのパイプ椅子に身を縮めていて。「こっち座れよ」と先輩に言われて机のところに座らせてもらっても、講師同士の楽屋ネタというか馬鹿話についていけず、愛想笑いするのもしんどくて、ファイル持って子供たちがいる教室に早々入って質問とか受けてたなあと。その方が楽やったし。そんなんやから、人づてに「アイツは愛想悪い」って陰口言ってる先輩がいるって聞いてたけど、それでもあのやさ暮れたノリに迎合するのは絶対嫌だった。言うても司法浪人とか就職浪人とか、社会的にはドロップアウトしてるやろ、あんたら、みたいに思ってたから。いい人もいたけどね。リクルートとか行く人も結構いて、まあそういう人は口八丁手八丁のあの業界で培ったものを余すところなくアピールすることに長けていたんだろうなと。

長なりました。「イージューライダー」と聴くとそんな夏のバイトを強く思い出すのです。あの狭いけど、異様に冷房が聞いていた講師控え室の窓から眺めていた、豊中の銀座通り商店街のくそ暑そうな街並み。居心地の悪さを感じているのを察して声をかけてくれた先輩の女性講師。確か阪大だったかな。同じ算数で僕には優しかったけど、やさぐれた人たちのグダグダ話にもちゃんと合わせてたこととか、休憩中にタバコふかしているの見て幻滅したこととか。純粋でしょ、ワタシ。この頃には妻とカラオケも行くようになってて、「イージューライダーも」高音でも低音でもなく、上手に歌いこなせるようになっておりました、はい。

いやー、山鉾みてここまでnote引っ張るなんて、えらいパンドラの箱開けたなあ。山鉾というか「イージューライダー」か、開けたのは。テストが終わるのを待ってる間、先週買ったSwitch版のドラクエ11sをだいぶ進めようかと思ってたけど、高島屋の地下で昼飯を買いにいくのにタリーズを出ようと思ってた時間まであと15分しかない。えらい書き込んだので左手の親指が超痛いです。投稿したらちょっとドラクエの続きして買い物に行きます。

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