(八十)久女の句を鑑賞しよう

大正から昭和の頃に活躍した優れた俳人杉田久女(ひさじょ)の略歴を『杉田久女全句集』、<年譜>から纏めた。
1890(明治23)年,5月30日、鹿児島市平之馬場町に生まれる。本名は杉田久。
1907(明治40)年,17歳、東京女子師範学校附属高等女学校卒業
1909(明治42)年,19歳、旧制小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)の美術教師で画家の杉田宇内と結婚。夫・宇内は愛知県小原村(現・豊田市)で代々庄屋を務めた素封家の跡取り。夫の任地である福岡県小倉市(現・北九州市)に移る。
1911(明治44)年,21歳、長女昌子を生産。
1913(大正02)年,23歳、義母没、夫の実家の愛知県小原村で義父の世話をする
1916(大正05)年,26歳、次女の光子が誕生。この年、次兄で俳人の赤堀月蟾より俳句の手ほどきを受ける。
1917(大正06)年,27歳、ホトトギス1月号に初めて出句。この年5月に飯島みさ子邸での句会で初めて高浜虚子に出会う。
1920(大正09)年,30歳、腎臓病を患い、東京の実家に戻り入院する。
1931(昭和06)年,41歳、帝国風景院賞金賞20句に入選。
1932(昭和07)年,42歳、3月、女性だけの俳誌『花衣』を創刊し主宰するが、5号で廃刊となった。同年10月、星野立子・本田あふひと共に女性初の『ホトトギス』同人となる。
1936(昭和11)年,46歳、「ホトトギス」の社告により同人を除名される。
1942(昭和17)年,52歳、義父没。
1944(昭和19)年,54歳、母死去。鎌倉の長女昌子を訪れ、句集出版の願いを託す。
1946(昭和21)年,1月21日、腎臓病の悪化により大宰府の病院で死去。
 
それでは、例によって、彼女の秀作・代表作を見ていこう。私が選んだ代表作には☆を付けておいた。
☆花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
 この句の解説を花衣沙久羅のブログから引用する。
この句をつくったとき(1919年)久女は29歳。俳句をはじめてわずか2年余の作品。
花見から戻って、まだ、たかぶっている気分と疲れがまざる気持ちで、帯を解く。何本も使っている長さ、太さ、色合いもいろいろな紐が、衣や身体にまつわりついてくる。「花衣」とは花見衣のこと。
妖艶にして華麗、激しさと倦怠、開放と鬱屈…。それらが読むものの気持ちにまつわる紐のように感じ取れる。
花衣沙久羅 https://jugem.client.jp/100-02.html
☆英彦山(ひこざん)
谺して山ほととぎすほしいまま
この句は昭和6年、久女が41歳の時に、虚子が選者となった「日本新名勝俳句」公募で特選・金賞を受賞した作品である。彼女の出世作でもあり、先生でもあった虚子が絶賛した句でもあり、更には、この句は彼女の心景をも表わした句でもある。彼女は随筆「日本新名勝俳句入選句」で次の様に述べている。
  昨夏英彦山に滞在中の事でした。宿の子供たちがお山へお詣りするというので、私もついてまいりました。行者堂の清水を酌んで絶頂近く杉の木立をたどるとき、突然になんともいえぬ響きをもった大きな声が木立の向こうの谷間から聞こえてきました。それは、単なる声というよりも、英彦山そのものの山の精の声でした。短いながら妙なる抑揚をもって切々と私の魄を深く強く打ち揺るがして、幾度も幾度も谺しつつ声は次第に遠ざかって、ばったり絶えてしまいました。
(中略)
  ほととぎすは惜しみなくほしいままに、谷から谷へと鳴いています。実に自由に。高らかに谺して。
 
彼女の文を読むと、ほととぎすの谺の声は全てが実の声ではなく、一部は本人の心の中で谺していたのかも知れないとも思う。彼女は時鳥が羽を広げて自由に山を飛び回り、鳴いているのと、自分が自由に社会で活躍するのとを重ねていたのではないかと思う。
・紫陽花に秋冷いたる信濃かな
  この句の解説は板本宮尾が著した「杉田久女十五句鑑賞」(『杉田久女全句集』)に優れた解説があるので、その全文を引用する。
大正9年8月に実父の納骨の為に長野県松本に行った折の句。堂々とした下五を据えて調べも高く、何処にも緩みのない句の姿が美しい。紫陽花といえば、梅雨時の花のイメージがあるが、この句は信州の8月の紫陽花を詠んだもの。
夏が短い山国では、まだ青々と色を残す紫陽花に早くも秋の気配が漂い、やがて来る厳しい季節の到来を感じさせる。信濃の冷たく澄んだ大気が的確に表現されている。感情を表す言葉はないが、心の支えであった父を亡くした作者の心持が静かに伝わってくる。
・足袋つぐやノラともならず教師妻
「ノラ」はイプセンの代表的戯曲『人形の家』の主人公で、世間知らずなのに、自立するために夫と離縁する。
一方、作者は代々庄屋を務めた家に嫁いだ。本人も小説家になるため、自立したいと思っているが「ノラ」のように行動することをままならない自分にいら立ちを感じている。
・夫へ戻す子等の衣縫う冬夜かな
  夫とは上手くいっていなかったようだ。離婚したのかどうかは知らないが、別居していた。二人の子供の為に病弱な体を無理して衣服を作っている。彼女の気持ちが表れている。
☆月の輪をゆり去る船や夜半の夏 
  作者は、夏の夜半に川岸に一人立って、ゆっくりと進む小さな船を見ている。舳先から水面を揺らす波が出ている。月の輪をゆっくりと揺らし、月影も同時にゆらゆらと揺れている。なかなか幽玄な景色である。
☆鶴舞うや日は金色(こんじき)の雲を得て
  雲が黄金に染まるのは朝と夕と二回あるが、どちらを句にしたのか、判別できないが、鶴を見るために早朝出掛けたものと考える。『俳句の教科書』では、次の様に解説している。
八代地区は、本州唯一のナベヅルの渡来地です。ナベヅルは越冬のために毎年10月頃シベリアから訪れ、3月上旬まで八代地区で過ごします。
(中略)
現在では訪れる鶴の数は激減しましたが、久女が八代地区を訪れた頃には、二百を超えるナベヅルが渡来していました。久女が八代地区に宿泊し、朝茜色の空を舞う鶴を見てこの句を詠ったものとされます。
「鶴舞うや」としてまず、鶴を読者に提示する。その次に金色に染まった雲に読者の関心が移り、それで我々は全体像を想像することができる。絵画的な美しい風景である。
   注意すべきは「日は金色の雲を得て」という表現である。太陽の光を受けて雲が金色になるのをつるが待っていたかのように表現しているところに時間の経過を感じる。鶴も景色を見て舞っている。鶴と太陽・雲の調和を実感する良い句である。
・初めて帰る燕
秋雲に翅きたえる燕かな
子燕が初めて長時間の飛行に挑戦する。雲は高く、雲に向かって勇気をだして飛ぼうとする子燕の感じがよく出ている。
 
久女は「女流俳句の辿るべき道は那辺に?」という題で女流俳人についての考え方を述べている。この随筆は男子にも女子にも参考となる点を多く含んでいると思われるので、非常に長いが転載しておく。
  女流の句は素直で男子より成長が早いと言われるが、次第に男子に追いぬかれて、遂には格別の差ができるというのが定評です。
   婦人には育児や主婦としての重荷があるという点いろいろ家庭の事情でと言う事も大きい理由でしょうが、自分の句が拙いのを何十度がっかりし、自分にはとても見込みはないと、俳句中止を何度思ったかしれませぬが、いやいや自分は才もなし、背景もなし句が拙いからこそ一層勉強せねばならぬと考え直し一生芸と思って又はげみます。
(中略)
  もう一つ私のよく感じます事は、ある男子方が「女はつまらぬ、アナタ方は頭が古い。感情だけで物を見たがる。理智と感情をすぐ混同したがる。ジョーギで引いた線の如く万事が明確でない。女なんかと私共をよく冷笑されます。私は笑われつつ考えます。
   本を沢山読んでいる頭のよい男子方が、女なんかと貶されるところには女の不勉強研究心の足りなさ、努力も迫力もうすく、眼界せまい等、到底男子に追従してゆけぬ点で我々は貶されても仕方がないと。
   しかし又私は直ぐ考え続けます。
   いや、女が男子に貶されるその理智と感情とを混同したがり、時々は命がけにもなる点。ジョーギで引いた如く万事が理詰めでゆかぬところ。女なんか、と貶される所に、女性の特色があり、女流俳句の進むべき道が有るのではないか?
  と。女の天性直感的で感じがつよく、こと事に感情の波動を起こし易い点。そうした性情に女流は男性の耕し残した境地を益々開拓してゆくべきではなかろうかと。
   男子が新から新へと追い求め、理智的で誇りかに胸を張り、他を睥睨しつつ、時には又他を排撃しつつ歩み進まるる時、女流は慎ましく黙々と時々忍従し、自然の前へぬかずき、象牙の塔にぬかずきつつ、敬虔な足取りで男の方のなぎ倒しふみじりつつ通った野菊をも静かに引き起こす優しさ女らしさで、侮蔑に微笑みつつ婦人らしい近代的感覚情緒を、観察を、家庭内を、自然を素材として偽らぬ自己の俳句を次第次第に築き上げてゆくのが婦人俳句の行くべき道ではないでしょうか。
(中略)
 更に言う。
  いつ迄も無自覚に類型的な内容表現にのみ安心しているべきではなく、漫然と男性に模倣追従しているばかりでは駄目だと思います。女流という自覚の上に立って自らのよき句境涯を切り開いて行く努力勉強が是非必要です。
  
彼女の言う通りと思う。女性特有の見方・感じ方を男子の見方・感じ方と異なるという理由で表現するのを止めるべきではない。従って、女流俳人の行く道はかなり困難を伴うと考える。
 
さて、久女の句から女性に特有な句や所謂台所俳句等を挙げてみよう。一々細かく解説はしません。
・鯛を料(りょう)るに俎せまき師走かな
  俎が小さく感じるほど大きな鯛を料理しています
 ・うそ寒や黒髪へりて枕癖
   老いて髪の量が減ったのね
 ・芋汁や紙すすけたる大障子
   芋汁を煮て障子が煤けてしまいました
 ・男の子生まぬ我なり粽結う
   粽を作って端午の節句に供えよう
 ・眉引も四十路となりし初鏡
   四十路になり眉引きをするようになりました
 ・蕗味噌や代替わりなる寺の厨(くり)
   寺の食事を作る人が代わったのだなあ
 ・寮住のさみしき娘かな雛まつる
   娘の事を思って雛を祭ってみた
 ・子を連れて落葉拾いの鶴の群
   落ち葉拾いに子を連れて行きました
 ・涼しさや水つけてかくほつれ髪
   ほつれ髪が気になるのです
 ・見目よきがまず嫁入りぬ針供養
   綺麗な女が早く嫁に行くのね
 ・子有る身の心強さよ菊の秋
   子があるから白菊を見ても心に不安がありません
 
彼女は題材を広く取り、女の俳句を詠むことにも工夫をしているのが分かる。

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