(七十七)かな女の句を鑑賞しよう

杉田久女と並び称される長谷川かな女の俳句を鑑賞しよう。先ず、『現代女流俳句全集 第一巻』「長谷川かな女集略年譜」から、略歴をまとめた。
1887(明治20)年、東京日本橋本石町に生まれる。
1897(明治30)年,10歳、父死去。
1902(明治35)年,15歳、小石川三井家に行儀見習いに上がる。心臓が悪化してお暇を頂いて家に戻る。
1909(明治42)年,22歳、毎日俳壇に投句して「名月や崖に極まる家二軒」が初入選。
1910(明治43)年,23歳、英語教師であった富田諧三(のちの長谷川零除子)と結婚。
1912(大正元)年,25歳、薬品研究所に勤めていた零餘子に対して、虚子が俳句一本でいかれてはと勧め、「ホトトギス発行所」に通う。翌年、虚子が始めた婦人俳句会の幹事役を務める。
1927(昭和02)年,40歳、1月26日母死去。
1928(昭和03)年,41歳、夫死去。自宅の火事により、親戚の石関家の浦和の貸家に移り住む。
1929(昭和04)年,42歳、第一句集『竜胆』を出版。
1966(昭和41)年,79歳、「紫綬褒章」受賞。
1969(昭和44)年,82歳、かな女死去。
 
それでは、気になった句を見ていこう。
・チューリップ影もつくらず開きけり
チューリップの花は、赤・黄・白・橙などの花を咲かせる。現在は色々な品種が開発されているのであろうが、ここで歌われている光景は、真昼の明るい日差しのもと花壇などで咲いている花と想像する。日が高いので影も作らず、しかも綺麗なだけでなく周りを明るくさせる雰囲気を「影もつくらず」と表現している。
・水入れて春田となりてかがやけり(49歳、昭和20年)
春に田植えをして、田に水を入れた時には既に日が傾き掛けた時分であろう。一面の水が太陽の光を反射して黄金に輝いた風景を詠んだものである。この黄金に輝く落日は実は陳腐なテーマである。
 北宋詞人李清照も「永遇楽」で
  落日鎔金、暮雲合壁
  西日は金を溶かしたるが如く輝き
  東月は雲と一体になって玉の如くに光を放つ
と歌っている。
   この句で重要な言葉は、「水入れて」が上五に置かれている事にある。これによって、水を引き入れる前、田んぼは輝いていなかったが、田植えという作業を終えて、皆が一息つき、そして水を引き入れて初めて輝く西日を見て感動したことを詠ったのである。
・曼殊珠華あつまり丘を浮かせけり(50歳、昭和21年)
   曼殊珠華について、「暮らしの歳時記」から引用する。
彼岸花は、秋雨が降ってやがてお彼岸という頃になると芽を出し、1日に10cm近くも茎が伸びて、瞬く間に50cm位になり、あの真っ赤な花を咲かせます。そして1週間ほどで花も茎も枯れてしまい、今度は球根から緑の葉っぱがすくすくと伸びてきます。
    https://allabout.co.jp/gm/gc/220622/
 
 つまり、花が咲く頃は葉が成長しないので、紅い花が一面に咲き、成長が早いため、日一日と茎が伸びて一面の花が上にせり上がったように見えるのである。
この句はさいたま市別所沼公園の曼珠沙華を詠んだものらしい。彼女は、曼珠沙華が咲く時分に複数回、ここに見に行ったのだ。そして、前回見た時よりも茎が伸びているのを見て浮いたように見えたのだ。それを「丘を浮かせた」と表現したのだ。
・藤棚を透かす微光の奥も藤(59歳、昭和30年)
埼玉県春日部市の「牛島の藤」を詠んだ句である。見事な藤棚である。多くの藤が重なり合いながら風に揺れ、時には房と房がぶつかり合い、光の当たり具合も、場所によって様々で、何とも表現し難い風景であるが、かな女は「微光の奥も藤」と上手く言い当てている。
   参考として、藤の房を詠んだ句を挙げておく。
    白藤や そっと吹いては 波立せ(菊舎)
    藤波の風のさざ波立ちにけり(三彩子)
・知恵たらぬ婦(つま)美(うつく)し紅芙蓉
  綺麗な或いは可愛い女性に頭が良くない女性が多いということはよく言われている事である。芙蓉の花は朝咲いて夕方には閉じる花である。綺麗ではあるが知恵たらぬ婦人と言うのは、晩年は苦労するということを暗示する句と考える。
・垣椿に庭の桜の風雨かな
垣は椿、庭は桜と対比され、共に雨風に晒されている。椿の花も桜の花も落ち易いそれで、いつ落ちないかハラハラしてみている。
・淡雪に母臨終の静かなる
母の臨終場所は自宅のように思える。かな女40歳のときである。淡雪が庭に静かに落ちて来るのが見える。母は黙ってふせており、かな女も黙って母を見ている。やがて、臨終の時がやって来たことを知る。その雰囲気がこちらにも伝わる。
かな女は母を詠んだ句を多く残している。次に、その例を挙げる。
 燈籠に母思う事しげしげと
 花苔に父母おはす墓となりし
 母歩く庭と思いぬ盆の月
 母とあれば我も娘や紅芙蓉
 母寝れば夏虫に膝くずしけり
 母も子も暑さに負けず麦湯呑む
 母の37回忌
 母の忌を明日に雛を飾るなり
 母思う二月の空に頬杖し
何も言わないが、母に向かって「今まで有難う」と心の中で繰り返していたのかも知れない。

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