(三)「プレバト」のお題「雪の中に鎌倉大仏」で詠む

俳句的な表現とは何であろうか。短歌との違いとの比較で論じてみよう。短歌は春夏秋冬、花鳥風月、など自然の美や男女の楽しみ、人事の美などを直接的間接的に文字にするのであるが、俳句は少し異なった角度からこれらを見て歌にする。
例えば、よくある題材に「雪に紅梅」がある。これを短歌では、紅白の色の取り合わせの美しさや雪の寒さに耐えて蕾を開く梅への感動、梅の上品でほのかな香りなどを「体よく」「品よく」表現する。
一方、俳句の表現方法は異なる;この寒いのにやせ我慢して花を咲かせているなあ、花に雪が当たって痛いのに黙って咲いている、寒いから微かな香りしか出ないのだろうなどと、心の風景を表現するのである。私は之を総称して「軽み」と表現している。当方が軽みと感じた表現をした俳句を挙げてみる。
・風流のはじめや奥の田植え歌(芭蕉)
(白河の関を越えて東北に入ったが、関東以西では聞かれない田植え歌を聞いた。福島白河で、田植えをするのは五月、初夏のころである。東北での歌を聞くのはこれが初めてだ。田植え歌を風流と称しているところが軽みと言える)
・今年からまる儲けぞよ娑婆の空(一茶)
(大病したが、幸いにも全治して新年を迎えることが出来た。去年死んだものと考えれば、今年からの人生は丸々得したと言える。命拾いして娑婆に留まれたことに感謝だ。病気のことは言わず、まる儲けと表現しているところが俳句的。)
・興梠や夜は明けてある壁のすき(無腸)
(夜更けに興梠(こうろぎ)の声が聞こえてくる。実は、声を聞こうと思って壁にすき間を作っておいたのだ。興梠の優しき声を言わず、夜にじっと、耳を傾けて楽しむ様子も述べない所に奥ゆかしさがあり、同時に軽みにもなっている。)

この様に、「軽み」と言っても、種類は一つではないことが分かる。さて、題によって作った句を披露するときが来た。
  大仏に 衣着せたや 小米雪


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