(五十三)花の俳人加賀の千代女の俳句を鑑賞する(その二)

前回は加賀の千代女の代表作を鑑賞した。千代女はその他にも佳い句を多く作っているので、それらの中から、幾つか選んで鑑賞しよう。
≪ 春 ≫
山吹や 影も狂はぬ 水の影
ももの花 我をわすれる 月日かな
脇道の 夜半や明るく 初さくら
≪ 夏 ≫
花の香に うしろ見せてや 更衣
≪ 秋 ≫
はからずも 琴きく雨の 月見哉
星合を何とかおもふ女郎花 
≪ 冬 ≫
初雪は 松の雫に 残りけり

〇山吹や 影も狂はぬ 水の影
  山吹は野山に自生しているほか、渓流際に咲いていることもある。従って、この水は渓流の水を意味しているのであろう。水の流れが淀んで、しかも停滞している所に山吹の花が咲いている。風がなく、水面が鏡のようで、黄色い山吹の花の綺麗に咲いている姿がそのまま水面に映っている。それを「影も狂はぬ」と表現している。素晴らしい表現力と思う。「影」とは「水面に映った姿」という意味である。
〇ももの花 我を忘れる 月日かな
  女の子にとって桃の節句は特別な日である。花嫁を連想させるからである。千代女は18歳で結婚し、20歳で死別したと言われている。
短かった結婚生活であり、老いて結婚に憧れる事もないと思う。しかし、桃の花を見るたびに、少女の頃、親に桃の節句を祝ってもらった楽しい思い出などに耽り陶然とすることを句にした。
   「もも」が平仮名になっているのは、「百」を
と掛けているからかもしれない。花の好きな彼女は桃の花だけではなく、花を見るだけでも、過去を思い出しては少女に戻っていたのではないか。
〇脇道の 夜半(よわ)や明るく 初さくら
  夜中、山の脇道は真っ暗である。提灯を下げて歩いていたのであろう。それでも、足元を照らす程度の明るさであろう。歩いているうちに、山桜が咲き始めているのに気が付いた。山桜の咲いている付近が明るく感じたのである。千代女には次の句もある。
踏み分けた 情(なさけ)の道や 山さくら
〇花の香に うしろ見せてや 更衣
  この句は何処で作ったのだろう。字義通り受け取るなら、自分の家の庭に桜の木が植えてあり、庭に背を向けて衣替えの準備をしたという事になる。しかし、彼女が住んでいた加賀では、桜の花の季節は衣替えをするには早すぎると思われる。遅咲きの桜があったのかもしれない。
   季語「衣替え」は夏を意味するが、この句は晩春を詠んだ句である。つまり、衣替えが主題ではなく、「春を惜しむ」のが主題である。つまり、花が散るのを見るのではなくて、花が散るのを惜しんで背を向けたことに句の意味がある。風が吹いているので、背を向けてはいるが、花の香を感じている。そして、出して来た夏用の服を一つ一つ検(あらた)めながら、季節の変わり目を感じている。
〇はからずも 琴きく雨の 月見哉
中秋の晩に雨が降っている。月を見ようと、時折空を見上げてはいるものの、月は必ずしもその姿を表わさない。誰かが筝を引き始めた際に、「図らずも」満月が姿を現した。しかし、雨は止むことがない。
これで、満月、雨、そして筝の音が同時に楽しめる、これは天の計らい事で、幸せな事だ。
〇星合を何とかおもふ女郎花(おみなえし)
星合とは、七夕に織女の星と牽牛の星が出会うことをいう。女郎花の花言葉の一つは「約束を守る」となっている。
織女と牽牛が毎年七夕の日に逢瀬を重ねる約束を果たしている。女郎花も彼等の様に、その季節が来たら花を咲かせようと考えているのだろうか。
〇初雪は 松の雫に 残りけり
  初雪に喜んだが、今雪は止み、日が出ている。松の枝の上に積もっていた雪は次第に融けて、水となり枝から滴り落ちている。遂に、雫となって葉の下に残った事だなあ。雫になった風景もまた風情があることだ。
同じような句に、「花となり 雫となるや 今朝の雪」がある。


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