(四十三)漱石の漢詩五首を紹介する(その1)

漱石が小説の外、漢詩や俳句を作っていたことは一般的に知られている。漱石が若いころに作った七言律詩絶句を紹介する。
岩波書店『定本漱石全集』2018年版(以下、『全集』と略記する)第十八巻から詩を引用する。詩の前の番号は、『全集』に付けられた詩の番号である。

(其の一)
03 題画
何人鎮日掩柴扃、也是乾坤一草亭。
村靜牧童翻野笛、簷虛鬪雀蹴金鈴。
  渓南秀竹雲垂地、林後老槐風満庭。
  春去夏来無好興、夢魂回處氣冷冷。
*1:鎮日、終日。
*2:柴扃、柴で出来た門の閂。
*3:乾坤、天地ほどの意味。絵には茅葺の家と槐(えんじゅ)の生えた庭、後背地にある竹林のみが描れているのであろう。
 
まず、「簷虛鬪雀蹴金鈴」から解釈しよう。「簷虛」は常識的解釈では「軒下には人がいない」となるが、軒下には風鈴があり、鬪雀(ケンカしている雀)がそれを蹴って鳴らしたという句との繋がりが悪い。詩において、「簷虛」は「軒下」と言うべきであるが、対句を作るためそのような言い方をしている。
次に渓南とは地名の様に思えるが、よくは分からない。「林後老槐風満庭」において、作者の視点が何処にあるのであろう。一草亭は門が閉じられているので、林を背にし、庭を目の前にする視点で詠んだのではないか。然らば、林の前にある一草亭の庭に風が吹いていると解釈できる。
作者が夢から覚めたのは、夏の夕暮れであろう。もう、日が暮れて、辺りは冷たくなってきたからである。
この詩は絵に詩を付けたせいなのか、句の繋がりが不自然に思える。当方は次の様に意訳した。
誰であろう、終日門を閉ざしているのは。
これは茅葺の粗末な一軒の家。
村は静かで、牧童が笛を吹いている。
人気のない軒下で、雀が風鈴を蹴飛ばしている。
渓流の南には雲が低く垂れ、
林の前にある庭の老いた槐に風が当たる。
春が逝き、夏来たりても楽しきことはなし。
目が覚めたら辺りはもう寒い。

乾坤、簷虛、夢魂回處という言葉が浮いている。
 
(其の二)
さて、今度は、『即事』という七言絶句を紹介する。
06 即事
  楊柳橋頭人往還、緑蓑隠見暮烟間。
  疎鐘未破滿江雨、一帯斜陽照遠山。
*1:即事、原文「即時」これでは、「すぐに」という意味になるので「即事」に訂正した。
*2:烟、煙。気体の多きを言う、ここでは、夕霧。
*3:疎鐘、夕暮れの鐘。
*4:破、鐘の音が雨音を乱すこと。
 
「緑簑」とは、新しい蓑と解釈出来る。【全集】の注では「隠見」を「見え隠れする」と解釈しているが、これは大陸の漢語ではなく、日本語で言う「見え隠れする」という言葉を「隠見」と表わしたものと言える。「一帯斜陽」とは、一衣帯の斜陽(の光線)という意味で書いたと思えるが、その様に解釈はできない。これも日本語の一帯(辺り一面)と解釈する。季節は春から初夏と思える。
「疎鐘未破」とは、まだ鐘の声が聞こえてこないという意味である。それでは、解釈文を示そう。
  柳の木が橋の袂にあり、人が行き来している。
  新しい蓑を着た船頭が、立ち込める夕霧のなか見え隠れする。
  夕暮れの鐘が鳴らないのに川一面の雨、
西日が遠くの山を照らしている。
 
これは、山間の川の辺から見た夕霧深き風景を詩にしたもの。ここでも、所々に日本語が使われている。
(其の三)
次に【七草集】評より 九首。
16 其八
  京客多情都鳥謡,美人有涙滿叉潮。
香髏艶骨兩黄壌,片月長高雙枕橋
*1:京、ここでは京都のこと。
*2:都鳥謡、【全集】から引用する:業平が隅田川のほとりに来て詠んだ和歌「何しおはばいざこと問はむ都鳥我が思う人は在りやなしやと」
*3:叉、相交わること。ここでは(川が)相分かれた処。
*4:髏とは亡くなった人の頭。香髏・艶骨共に亡くなった美人を意味している。
*5:亡くなった女性を表現するのに「香髏艶骨兩黄壌」と七文字も用いている。しかも「香髏艶骨」を以って2つながらと表現しているのは如何なものか。この第3句は浮いた言葉になっている。
 (其の四)
『木屑録』より十四首。
18 〖其一〗(明治22年9月)
風穏波平七月天、韶光入夏自悠然。
  出雲帆影白千点、総在水天髣髴邊。
*1:韶光、春光。
*2:入夏、「夏に入る」という意味の日本語。
*3:悠然、閑適の様子。陶潜、『飲酒』に「悠然見南山」とある。
「韶光入夏自悠然」の句は理解困難であるが、漱石の心を推察するなら、春の光は夏になって日差しが強くなったが、私は悠然としているとの意味に理解する。
*3:髣髴、仿佛に同じ、よく似ている、またはよく見えないという意味。ここでは前者の意味。水天とは海と天という意味であり、邊とは近辺という意味である。従って、「総在水天髣髴邊」は、全ての帆影が地平線の辺りにあるかのようだとの意味であろう。
 
題の下に明治二十二年九月とある。漱石23歳の年である。この詩も日本語が混在している。
解釈を示そう。
  風は穏やかで、波は立たない、七月の空。
  春の光は夏の強い光に変わったが、
私は悠然としている。
雲から出でた帆影が無数に見える。
すべて、地平線の辺りにある。
31(其の五)
『木屑録』より十四首。
〖其十四〗自嘲書『木屑録』後
白眼甘期與世疎、狂愚亦懶買嘉誉。
為譏時輩背時勢、欲罵古人對古書。
才似老駘駑且騃、識如秋蛻薄兼虚。
唯嬴一片烟霞癖、品水評山臥草蘆。
 
*1:白眼、【晉書・阮籍伝】「籍又能青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。」(籍は又黒目になったり、白目になったりできた。禮が俗の士を見ると、白眼で応対した。)
*2:買嘉誉、世間から良い評判を得る。
*3:老駘、老いた駄馬。
*4:駑且騃、のろく愚か。
*5:蛻、抜け殻。
*6:嬴、盈に通ず。充満する。
 
解釈:
  俗人を馬鹿にしているから、
世の人と疎遠になるのは仕方ない
常識外れで愚かなので、
世間の評判をよくしようも思わない
同時代の輩を誹る為、時勢に背き
古人を罵ろうとして、古書に臨んでいる
才能は、老いた駄馬の如く、のろくばかだ
見識は、秋に抜け殻の様に薄っぺらだ
只、自然の愛好癖で満ちている
山水を評して粗末な家で横になっている

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