論語独り言の目次です。

前 編(其の一~其の二十四) 1
其の一(孔子は対句を多用した1) 1
其の二(☆孔子は対句を多用した2) 4
其の三(孔子は古言・格言を多用した) 6
其の四(孔子が開設した私塾、そして入門した弟子達) 8
其の五(孔子最愛の弟子顔回) 10
其の六(弟子の子路) 12
其の七(弟子の子貢) 16
其の八(孔子の夫婦観) 21
其の九(孔子の金銭感覚) 25
其の十(☆孔子が五十にして知った天命とは何か) 30
其の十一(孔子と仁1) 33
其の十二(孔子と仁2) 36
其の十三(孔子と義) 37
其の十四(古漢語の特徴) 43
其の十五(何故、往、適、徂、逝という字が淘汰され、嫁という字が生き残ったか) 48
其の十六(再び嫁という字、及び魯方言が已に存在したことについて) 50
其の十七(忠恕とはどういう意味か) 53
其の十八(人の美を成すとはどういう意味か) 57
其の十九(孔子の教え≠儒教の教え) 61
其の二十(孔子は諸国放浪中、野良犬と呼ばれていた) 63
其の二十一(孔子は言葉を繰り返す事で、感情を上手く伝えていた) 66
其の二十二(人を知る) 69
其の二十三(禮はなぜ諸侯に受け入れられなかったのか) 72
其の二十四(孔子は美しい事に敏感で特に音楽が好きだった) 75

後 編(其の二十五~其の六十) 81
其の二十五(☆何のために「朋」は遠方からやって来たのか) 81
其の二十六(子貢は玉への投資の可否を知るため、玉について孔子に質問した) 87
其の二十七(☆「無友不如己者」という句の意味は「己に如かざる者を友とするなかれ」ではなかった) 90
其の二十八(「善美」について) 92
其の二十九(☆「君子は器ならず」の本当の意味は何か) 96
其の三十(孔子にとって、最も重要な徳目は人を愛することであり、孝行ではなかった) 98
其の三十一(☆古代から東夷は中原より優れていた) 101
其の三十二(孔子の祖父は中国大陸に移民してきた) 104
其の三十三(☆【詩経】の「可愛い笑顔は口元がはっきり、美しい目は黒目がくっきり、色の白さが美しさを際立たせる」について、孔子が弟子に教えた事とは) 108
其の三十四(春秋時代すでに魯方言があった。里仁(仁に居る)とは魯方言だった) 111
其の三十五(☆孔子の人間観察法。人の過ちの仕方を見る) 113
其の三十六(孔子の三高弟を比較する) 118
其の三十七(「朝聞道、夕死可矣」と嘆いたが、時代は孔子の望む王による親政は実現不可能だった) 123
其の三十八(君子懷徳、小人懷土。対句について論ず3) 128
其の三十九(☆遠くへ出かけるときは方有りとは何の事) 132
其の四十(「德不孤、必有鄰」とは、孔子の体験談だった) 133
其の四十一(孔子は欲あるものは意思堅固にはなれないという。どういう意味であろう) 135
其の四十二(☆「文質彬彬」の「文質」の具体的な意味は何であったか?) 136
其の四十三(論語の章句の大部分は焚書によって失われ、孔子の意見・考え方のごく一部が残った) 139
其の四十四(☆「不可以語上」の「上」とはどのような意味か) 141
其の四十五(「述べて作らず」とは、「古の事を述べるだけで創造的な事はしない」という意味ではなかった) 144
其の四十六(孔子は詩歌を読むときなどは、標準語で発音したが、家では魯語で話した) 150
其の四十七(「智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は恐れず」とはどういう意味なのか) 153
其の四十八(孔子の面子意識は現代中国人のそれとは異なっていた) 155
其の四十九(☆「克己復禮」とは「約身以禮」の魯方言で、どちらも「身を律するために禮を用いる」という意味だった) 158
其の五十(☆君子は和して同ぜず、小人は同じて和せずの「和」とは、「互いに和らぐ」という意味ではなかった) 161
其の五十一(孔子は戦争について、どの様に考えていたか) 165
其の五十二(良い馬とはどのような馬を言うのであろう。人を載せて早く走れる馬を言うのであろうか、或いは荷物を沢山載せて歩ける馬を言うのであろうか) 167
其の五十三(☆「直きを以って怨みに報い、徳を以って徳に報いん」という句の真意はこれまで誤解されていた) 169
其の五十四(☆「身を殺して以って仁を成す」とは己を犠牲にするという意味ではなかった) 174
其の五十五(対句について論ず4。朱熹の「小知・大受、大受・小知の解釈は見当違いだった。) 177
其の五十六(☆「辞は達するのみ」の辞とは外交上の応酬を意味し、孔子が外交上の言辞について、弟子達に教えた言葉だった) 179
其の五十七(孔子は陽虎の策略に嵌らず、陽虎の配下になれという要求をやんわり断った) 181
其の五十八(孔子は何故、弟子達に【詩経】を読ませたのか) 184
其の五十九(☆孔子は女性蔑視論者ではなかった。「女子と小人は養い難し」に対する従来の解釈は間違っていた) 187
其の六十(孔子は諸国遊説して仕官を求めたが、結局採用されなかった。何故なのか) 192

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