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或るバンドが、明日活動を休止する

 明日、Halo at 四畳半というバンドが足を止める。このテキストで何か具体的な事柄を書こうとしているわけではない、だけれども、気づけば手が動いてたから、つらつら書き留めていきたいと思う。恰好をつけるつもりもないから、稚拙な文章になるかもしれない。でも、きっとこのテキストは自分のために書くのだから、それで、きっといい。たとえ、これをメンバーが読んで気を悪くしても、許して欲しいなと思う。

 コロナ禍に入り、僕自身が親交のある/なしに関わらず、沢山のバンドが活動休止や解散を選んだ。リスナー以上に、バンドという生き物にとっては、ライヴハウスという場所を失った影響は相当大きくて、自らの存在価値を問いかける時間となったのだと思う。夢中で進んでいた道中に、嫌が応にも分岐点が生まれた。誰にとっても、遅かれ早かれ訪れることではあるのだけれども、今の時代が少し「それ」を早めたことは間違いない。悲しくも納得をするしかない帰結なのだと、正直なところ思う。

 Halo at 四畳半というバンドの音楽を初めて聴いた日のことを覚えている。道玄坂の途中、名前は忘れてしまったけど、何処かの焼き鳥屋。僕が当時、所属していた『MUSICA』という雑誌を刊行している会社の先輩、矢島さんに教えてもらったバンドだった。“アンドロイドと青い星の街”という楽曲が当時YouTubeにアップされていて、飲み屋で変に酔いが回って寝てしまった矢島さんを尻目に、イヤフォンから流れる音楽を聴いた。同じくYouTubeに上がっていた”水槽”という楽曲の、メロディラインと歌詞の世界がとても好きで、いつか出逢うことができればいいな、と思っていた。

 その後、O-crestでライヴを観ることがあったり、当時スタッフをしていたLAMP IN TERRENというバンドの対バンでも彼らのライヴを観た。初めて直接話したメンバーは、ベースの白井だったと思う。というか、ほとんどの人にとってハロのメンバーと初めて関わるのは白井だったんじゃないだろうか。バンドの外交官は、いつだって彼だったのだと思う。僕が人見知りであることなんて関係なし、あいつはコミュ力の塊過ぎる。

 白井と初めてしっかり話したのは、梅田シャングリラだった。the equal lightsというバンドのレコ発に顔を出した時のこと。白井から当時リリースしていた自主盤をいただいて、やっとYouTubeで彼らの音楽を聴く日々は終わった。当然すべて聴いて、"シャロン"という楽曲を好きになった。その日観たライヴで聴いた、サイキの”シャロン”におけるギターソロは音源と全然違った気がしたけれど、その後、毎度ライヴでのギターソロが違うことに気づく。笑っちゃうけど、あいつのギターが本当に好きだ。握力強過ぎて、酔ってじゃれ合ってくると痛いのは、本当に嫌だけど。

 Halo at 四畳半は、互いの「初めて」を共有することもできたバンドでもある。地元の札幌に戻り、僕が初めてライヴをブッキングするという機会には、「初来札」となるハロを呼んだ。The Floorという、札幌の大切な仲間とも一緒に過ごしたあの夜は、正直この街に帰ってきてから一番楽しかった気さえする。「滑ったら黒澤さんのせいですからね」なんて舞台袖で言ってたけど、短い尺のライヴではほとんど披露することはない"水槽"をアンコールでは披露してくれたこと、もちろん忘れない。絶対滑ってなかった。打ち上げで、ライヴではあんなにも安定感があるリズムを生むドラムの片山が、うちのデスクにひたすら酒を注がれて潰れていたことには笑ったけど。

 僕が当時一緒に過ごしていたアルクリコールとAnger Jully The Sunという札幌のバンドと一緒に道内ツアーも周り(意味のわからないカッパのゲームやったな…)、それ以降も気づけばハロのメンバーとは何度も何度も酒を呑んだ。すすきのでの打ち上げでは定番だった根〇〇堂は飽きた、とも言われるくらいまで。

 ヴォーカルの渡井とは二人で飯を食べることもあった。「すすきのにいる」というから迎えに行ったら、あいつは地元の人間しか行かないようなすすきの食堂で味噌汁をすすっていて、その姿が滑稽過ぎて笑えた。今までそれなりにいろんなことを話したと思うけど、兎に角印象に残っているのは、生真面目に音楽と向き合うことが似合う/似合わない人、という二択でいえば、圧倒的に似合う人ということ。きっと、一生変わらないのだと思うし、変わらないで欲しい。

 何を書きたいのか本当によくわからない文章になっていると思うけど、要するに、東京と札幌という距離があるにもかかわらず、繋がりを持てていた数少ないバンドの一つが彼らであるということだ。時には、作品やライヴに関してもテキストにして残してきた。

 そして、ここから書くことはメンバーにも伝えたことがない、蛇足中の蛇足なのだけど、消さないで公開しようと決めたから、このまま書き連ねていく。

 明確に自覚していることがあって、いつからか僕は彼らのことをテキストに残すことができなくなった。タイミングは完全にわかっていて、メジャーデビュー後の『swanflight』という作品以降のことだ。その理由を当時言語化することができずにいたのだけども、とても逆説的に、その理由が腑に落ちる出来事があった。それは、彼らによる『かたちのないばけもの』というオンラインライヴを観た時だった。

 そのことを語る前に、そもそも、僕が元々彼らの何に惹かれていたか。何処までも寓話的な世界の中にリスナーを逃げ込ませ、現実の中にも携えることができる一筋の光を灯すということ。三人称の視点から描かれる物語が、時に一人称に代わりながら、一編の小説のような世界を描いていたこと。そして、その世界をライヴハウス叩き上げの実力で、生々しい圧倒的な熱量を持ってオーディエンスに響かせること。

 この寓話的/現実的という相反する世界が共存するものこそが、僕にとってはHalo at 四畳半の世界であり、惹かれ続けていたものだった。相反する要素がライヴハウスで弾けるからこそ、水面から手を伸ばす少年のように、互いに悲しみを持ち寄って、逃避を前向きに昇華する旅ができたのだと思う。

 『Animaplot』という作品をきっかけにして、彼らは音楽的に羽を伸ばす方向性を模索し始めた。それは要するに、バンドフォーマットから抜け出して、様々な手段で音楽を描くということ。”ユーフォリア”で魅せたその姿は、間違いなく進化の一つであったと未だに思っているし、ここまでの彼らには疑問を持つことはなかった。ラスサビに響くストリングスの調べは、間違いなく「必要」な音であり、空へと駆け上がっていくようなサビのメロディに完全に寄り添っていた。

 しかしその後、僕は彼らの作品のコアのような部分を見出すことが難しくなった。というのも、『swanflight』以降、彼らの歌は、より共感性の高い感情と現実味を帯びた言葉に変化をし、サウンドも、よりバンドフォーマットから解き放たれ、解像度を増していったからだ。一見すれば、これはより大衆に向けて間口を広げていくために必要なことのように思えるが、僕個人にとっては少し違った。その当時はうまく言葉にできなかったが、解像度が上がった言葉と音楽は、あくまで僕個人にとってだけれども、ハロの音楽としては雄弁過ぎたのだと思う。バンドという四畳半のように狭く不自由な中の生き物が、渡井翔汰という歌い手と共に、再現不能な寓話の世界に熱を灯すことを挑む姿を愛していた。そのこと自体にはっきりと気づいたのは、『from NOVEL LAND』を経て、最新作『ANATOMIES』の先に目撃することとなった、『かたちのないばけもの』というオンラインライヴを観た時だった。

 同時に、僕はその感情とは全く別の想いが生まれたことにも気づいた。彼らが此処に到達するために、メジャーデビュー後の3作は必要だったのだ、ということ。『かたちのないばけもの』では、言葉や音楽は雄弁になれど、彼らは音楽というものでは到底立ち向かえない、大きなスケールの現実に対してライヴを挑んでいた。以前の、音楽で寓話を描く先にある現実を目指すのは「逃げ込む」というニュアンスも楽曲によっては存在していたが、彼らが「寓話のような現実」に対して、雄弁な音楽であくまで「立ち向かう」姿を観たのだ。

 彼らのことが見えなくなった期間が、此処に到達するまでの道程だったと思うと、僕の中ですべてが腑に落ちた。その過程を見出すことができなかったことは、自らの稚拙さを恥じたい。しかし、ライヴのラストに描かれた"蘇生"を聴いてこの先の彼らを観たいと心から思った。※そんなこんなで、まんまとこのライヴのクラファンにも参加した。

 そんな矢先、彼らは今年の頭に活動休止を発表した。

 その後、彼らとは話していない。何を伝えればいいのかも、何を聞けばいいのかも、今はわからない、そんな感情だけがあった。

 だからこそ、今は、ただ明日のライヴを見届けたいと思う。全方位を切り取っても、Halo at 四畳半でしか鳴らせない”星巡りのうた”という楽曲を聴いて、いいライヴが見れるという確信は既にある。

 描いてきた寓話の先にある一縷の希望と、とてつもない現実に対峙するために得た雄弁な楽曲を携えて、彼らは明日の空間に何を綴るのか。

 「千葉県佐倉市!」から始まる、終焉のないハッピーエンドを願っている。(黒澤圭介)

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