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応援と激励で相手の背中を押そう。
今日もいい表情してるね。
元気そうでなりより。
最近の話なんだけど、コーヒーはブラック派?それともミルクや砂糖を入れる派?っていう議論があって、色々混戦したんだけど、結局、結論が出なかったんだよね。
ブラック派の人は、コーヒー本来の香りや味を楽しみたいっていう人が多くて、ミルクや砂糖を入れる派の人は、ブラックは苦いから嫌だっていう人が多いみたいなんだよね。
ホントどうでもいい話なんだけど、小さな意見の食い違いって、その人との人間関係にも関わってくるんだよね。
あの人は、ブラック派の人、この人は、ミルクや砂糖を入れる派の人。みたいな。
変な派閥ができるから、それ以外のことも関わりにくくなるから面倒だよね。
いや、ホントどうでもいい話んだけどね。
さてと。
今回書いてみようと思ってるのは、応援と激励で相手の背中を押すだね。
学校の運動会のとき応援団っているじゃない。
小学校低学年の頃は、応援団なんて、ただ騒いでるだけじゃないの?って思ってた訳よ。
甲子園の応援団とかも、バスケのチアガールとかも。
何のためにしてるんだろうなと、ずっと思ってたんだけど、ちょっとしたきかけでその概念が覆ったんだよね。
俺、小学校3年生から中学1年生の頃まで父親の転勤で海外に住んでたんだけど、ある日、クラスメイトが誘拐されるっていう事件があったんよ。
塾から帰る途中に車で拉致られたらしいんだけど、あの時はホント心配したよね。
隣のクラスの子だったんだけど、少し話したことがあったからね。
無事に帰ってきたから話せるんだけど、学校の全校生徒で鶴を折ったんだよ。
小学校1年生から中学校3年生まで、みんなで。
みんなで折った鶴をアートにして、体育館に飾って、みんなでお祈りする訳よ。
無事に帰ってきますように、って。
誘拐された子はそこにはいないんだけど、そうとう怖い思いをしてる訳じゃん。
だから、それに耐えられるように、みんで応援してたんだよね。
その想いが届いたのかどうかは分からないんだけど、その子が無事に帰ってきたとき、その子のお父さんとお母さんが泣いて喜んでた訳よ。
本人はケロっとしてたんだけどね。
人を応援するって、その人の背中を押すだけなんじゃなくって、その人を大切に思ってる両親や伯父さんや伯母さん、もしかしたら、友達や恋人にも大きな影響を与えてるんじゃないかって思ってるんだよ。
例えばね、自分に子どもがいたとするよね。
その子どもが人から馬鹿にされてるのを知ったら、ショックを受けるじゃない。
でも、たくさんの人から応援されてるのを知ったら、すごく誇らしく感じない?
俺だけなのかもしれんけど、少なくとも俺はうれしい。
いや、俺が応援されてる訳じゃないのに、なぜか嬉しいんだよね。
人を応援したり励ましたりするって、すごく大きな力があると思ってる。
それって、すごく大切なことなんじゃないかな。
前回はこんな記事だった。
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