見出し画像

愛はいくらで買えるのか


ご機嫌麗しゅう。夢來 怜(むらい れお)です。
今日も1日お疲れ様です。

はてさて、昨日のブログで「明日仕事に行けるかわかりません」と書いたのを覚えてるでしょうか?
さて、私は仕事に行けたのでしょうか
結果は~~~~~




無理でした。
休みました。クズです。
前日までは「明日は行くぞ!」と意気込んだはずなのに、朝になると何故か息苦しくなり、踏み出す足が止まってしまいます。
「あんなとこに行くと死んでしまう」と思ってしまうんです。
今皆さん、こう思いましたよね。

「死ぬなんて大袈裟だよ!」

はい、何度も言われました、誰にも理解してもらえませんでした。
身体的に死ぬのではなく、精神的に死ぬという意味で、「死んでしまう」と思うんです。
何故こう思うのか、それは単純明快、それだけ嫌だからです。
精神不安定のまま仕事に行けばそのまま道路に飛び出して死ぬかもしれない、それか仕事行かなくなるように足や腕を傷つけてるかもしれない。
足さえなければ、手さえなければ
…そんな最低なことを考えたりもしています。
五体満足の体で産んでくれた母に申し訳ないですし、事故や生まれつきで手や足がなくなってしまった方々にも失礼です。
あぁやはり自分は生きちゃいけない奴だ、死んだ方がい。

自分は恵まれて生きている、時にそう思います。
五体満足の体で生まれ、優しく面白く𠮟るべき時は叱ってくれるいい両親、数は少ないけど心を許せる友達がいて大好きな恋人がいる。
これだけで十分恵まれてると思います、が。
私は時に、愛が欲しい…そう思うんです。
愛されたい、誰かに抱きしめられたい、誰かに必要とされたい、愛が欲しい、愛が、愛が、
恵まれてるのに、なぜ愛を欲しがるのでしょうか。
これだけはさっぱりわかりません。
欲求不満なんでしょうか?
別に不特定多数の人と性行為がしたいとは思いませんが、人間が時にする自慰行為と同じような感覚でたまにこうなるんです。
心の自慰行為をしろと言うのでしょうか、くそくらえ。
摩擦でしか起こらないような愛なんていらない。
ずっと私を抱きしめてくれる布団のような愛が欲しい。
…なんだか少々性的なワードが飛び交いましたね、失礼しました。

それでは今日はこの辺で、ごきげんよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?