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おばあちゃんへの手紙4

その夏、
葛飾区柴又に住んでいる叔父叔母が
久しぶりに家にやってきた。

私の父の妹夫婦であり、
その妹である柴又のおばさんは
小さい時よく可愛がってもらっていた。

しかし、自分が結婚して以降は、
妻の親戚との付き合いが中心となり、
めっきり足が遠のいてご無沙汰していたのだ。

ただその日も私は
家を留守にしていて会うことがかなわなかったが、
一緒に同居している父と母が出迎えてくれていた。


父とおばさんは
久々に会う兄弟ということもあり、
ずいぶん話が弾んだようだ。


ひょんなことから
私の母が「そういえばこの間、
悟が突然おばあちゃんの夢を見たというのよ」

「えっ、お母さんの?」

柴又のおばさんにとっては自分の母のこと。

少し驚きながら
「どんな夢だったの、悟の見た夢というのは」

「それが
あまり詳しくは教えてくれないんだけど、
なんでもお母さんから手紙をもらったというの。
それでその返事を急いで書いたとか言って、
仏壇にあげていたわ。」

そう言って母は立ち上がり、
仏壇に線香を手向け、鈴を鳴らすと、
そこに供えてあった一通の手紙を持ってきて、
柴又のおばさんに手渡した。

「読んでもいいのかしら?」

「大丈夫。悟が言うには
おばあちゃんを知っている人が読んでくれる度に、
その人の中にいるおばあちゃんに届いて、
より伝わる気がするって言ってたわ」

叔母は微笑みながら便箋を開いた。

手紙を一通り読み終えると、
もう一度、またもう一度と視線は文面をたどった。

そして潤んだ瞳をあげると、
少し遠い目をして、言った。


「お姉さん、ちょっと
お仏壇にお線香をあげさせてもらっていいかしら。
私、お父さんとお母さんに
もう10年以上手を合わせていない。」

そう言って、
おばさんはおじさんと一緒に仏間に向かった。


お仏壇の前に4人が揃い、皆で静かに手を合わせた。

お線香の香りが4人を包み、
久しぶりの兄弟の再会を喜んでくれていた。


静寂の中、おばさんが口を開く。

「お母さん亡くなってどのくらい経つのかしら。」

「あぁ、お寺から通知が来ていた。
来年、三十三回忌を迎えるそうだ。
なんでも十七回忌の後の
大きな節目の年は三十三なのだそうだ。」

「そう、それはいい機会だわ。
松戸のお兄さんにも声をかけて
法事を執り行いましょうよ。」

「ああ、いいね。
実は親父が亡くなってからの
五十回忌とも重なるらしいんだ。

五十回忌の法要を執り行える家は
なかなかないらしいよ。

人が亡くなってから50年も経つと、
その人を覚えている人もだいぶいなくなるしね。

それに親父は兄弟4人の3人目だったから分家となるわけだけど、
五十回忌を執り行ったところでその人を初代として本家となるらしいよ。」

「ええ〜、それは凄いことじゃない。
まるでおばあちゃんが導いてくれているみたいね。」

「うん、それに松戸の義人とも
ずいぶん会ってないし、兄弟といえどもこの歳になると、
こういう機会でもないと、なかなか顔を揃えられないしな。」

「そうね、昔はお正月、夏休みと
家族でよく集まってたのにね。」

「うん、子供が大きくなるとなかなかね。
世代交代だよ。もう我々が中心で活動していた時代は終わった。」

「寂しいけど、そうよね。
お母さんも、私たちが中心に家族が動いていた時に
そう感じていたのかしらね。」

「たぶんね。でもそれが幸せなことでもあるしね。
だって子供達がしっかり成長して、
中心になってくれたってことだからね。」

おばさんはそう言いながら、
手紙を仏壇にそっと返すと、
もう一度手を合わせて呟いた。

「お母さん、ご無沙汰してしまってごめんなさい。
悟とお母さんのおかげで、またみんなで集まれそうよ。」



翌年の秋、

おばあちゃんの三十三回忌と
おじいちゃんの五十回忌を兼ねた法事が
菩提寺である。薬王寺で執り行われた。


私の父、松戸のおじさん、柴又のおばさんと
兄弟3人が揃って一日を過ごすことは、
20年ぶりにもなることだった。

御本堂での法要を終え、
天高く、澄み渡った秋晴れの下、
みんなでお墓参りに向かった。


松戸のおじさんは
タバコに火をつけ、軽くふかすとそれをお墓に供えた。

「親父はえらいタバコ好きでなぁ。」
とおじさんは私に振り向きながら笑って言った。

そういえば
おじさんもタバコをよく吸っているイメージがある。

それに反して、私の父は一切タバコを吸わない。
兄弟でもそれぞれ違うものだなと思った。


トンボが宙に浮くように、スーッと現れて
お墓に止まった。

私の子供たちが、
「トンボだぁ!」とすかさず反応する。

トンボの羽が秋の陽にキラキラと輝く。


「ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが
トンボを使って挨拶に来てくれているのかもね。」
と私の妻、愛が子供たちに説明する。

「ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんて、
おじいちゃんのお父さんとお母さんでしょ。」
と、小学3年生になる長女の佳乃が尋ねた。

「仏間に飾ってある写真しか僕知らない。」
と小学生になったばかりの勇一がつぶやく。

まだ3歳の次男勇作はしゃがみこんで
何やら足元をうろちょろするアリたちをせっせと指で追い立てていた。


私がちょうど勇作くらいの頃、
よくおばあちゃんに手を引かれ、
このお墓にお参りに連れられてきていた。

おじいちゃんは、
私が生まれる前にすでに亡くなっていたのだ。

その頃はまだお墓が石ではなく、
木の棒一本だったのを覚えている。

それを私の父がせっせと働いて、
今の石のお墓に建て直した。

思えば、その頃から
貧しかった家の経済状況は上向き、
父は自分の家を持つに至っている。

「パパ」勇作がしゃがんだまま私の方を見上げ、
アリを指差す。

「おっきいアリだよ。」

「うん、そうだね。
パパが小さい頃からここのアリはおっきかったんだよなぁ。」

佳乃と勇一はまだお墓に止まったトンボを
食い入るようにじーっと見つめている。


私の父や母、おじさんやおばさんたちが微笑みながら
その無邪気に集中する子供たちを眺めている。

秋の陽が穏やかにみんなを包み込み、
お線香の煙が立ち上る。

お墓は綺麗に掃除され、ツヤツヤしていた。

空はどこまでも高く澄んでいて、
トンボが気持ちよさそうに宙に浮いている。


私は確かに今、この瞬間の
安らいだ幸せに気づいていた。

みんなが幸せそうだから、自分も幸せなのだ。

大声を張り上げて興奮するような喜びとは違う。

みんなの安らいだ心の波長が
一つになって溶け合い、その空間ごと幸せなのだ。


トンボやアリたちの無心な姿が安らぎとなり、
そして我々の心のベクトルを
正してくれているのかもしれない。


それをいち早く感じ取った子供たちの無心が、
そしてそれを慈しむおじおばたちの無心が

人間の思考で勝手に作り上げた
自分と他の隔たりを次々と溶かし、

今この瞬間、
一つであることを気づかせてくれている。


自と他を作り、
他を蹴落とすことで自分をより強く感じて
喜びに変える欲の仕組みとは明らかに違うものだ。

自分がその世界に溶け込んで
なくなっていくから、
他もなくなって一つになっていく、
安心が満ちている世界。

自分の消失によって
”足りない”という概念の消えた、
満たされた一つの世界が生まれる。 

そして実は、
その世界にいつも包まれているはずなのに、
こういう機会(チャンス)に出会わなければ
なかなか気づけない。

幸せは、やっぱり今この瞬間にあるのだ。


他者や他の物事を
自分のことのように大切に思えば思うほど、
自己はどんどん薄まっていく気がする。

その結果が”足りない”と思う主体の消滅につながり、
満ち足りた全てが残っていく。

皮肉にも幸せになりたい
と自分を強く持つことが、他を強大にし、
欲の対象や自分に対する敵や壁となって立ちはだかり、
幸福感を根底から揺るがす結果になっている。

自分ばかりを考えるのではなく、
他を思いやることが大切なのかもしれない。

他の中に自分を見出して、他の幸せを願い、
自分の周りにいる者たちの幸せそうな姿から、
自分の幸せな立場が確立されていく。



しばらくの穏やかな静寂ののち、

トンボは「ビッ」とかすかだが、
確かな羽音をたてながら宙に浮き、
青空に吸い込まれていった。

「いっちゃったね」と佳乃がつぶやく。

勇一はずっと
トンボの飛び立っていった方角を目で追っていた。

松戸のおじさんの供えたタバコの灰が
コトリと落ちた。


それは何かが結実した合図のようにも見えた。


その三年後、
私の父は冬から春へとの季節の変わり目に
体調を崩し、亡くなった。

そして松戸のおじさんのも後を追うように
その翌年、肺ガンで他界した。

結局あの法事が、
兄弟3人揃って会うことのできた最後の1日となった。


仲の良かった3兄弟、
柴又のおばさんが妹として二人の兄を見送った形となった

改まっておばさんからお礼を言われた。

「悟の手紙がなかったら、
兄弟3人の最後の1日はなかったわ。
しかも、その1日が親孝行のための1日だなんて。
ありがとうね。」

私は首を横に振りながら答えた。

「お礼を言うのは僕の方だよ。
僕こそおばさんたちが集まってくれたおかげで
親孝行ができた。
あの法事を施主となって執り行えたことは
父への親孝行でもあると同時に、
おばあちゃんへのせめてもの恩返しにもなった気がして、
少しホッとしたんだ。」

妹の稲子と妻の愛が
私の傍でおばさんに深々と頭を下げていた。

「また今度ゆっくりと
父の小さい頃の話を聞かせてくださいね」
と稲子がおばにねだると
愛もパッと明るい顔になって
「あっ、私も聞いてみたい」と催促していた。



何か親孝行や恩返しが
したくてしたわけではないのに、
おばあちゃんの夢に正直に向き合って、
受け入れて、寄り添っていたら、

結果的に次々と
みんなの「良かったね」に辿り着いている。

そう、一人のではなく、
自分を含めたみんなの、だ。


おばあちゃんの夢から地続きで、
みんなの心の中の
安寧の世界へと導かれているような気がした。

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