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おばあちゃんへの手紙 外伝5

おじいちゃんありがとう

南蔵院編 2



「なくなった?願いが?」

「そう、願いを手放すことができたんだ」

「どうして願いを手放すと縄をほどくの?」

「勇くんはこのお地蔵様が
かわいそうに見えたんだろう。」

「うん、とってもね。」

「どうしてかわいそうに見えたんだい?」

「痛そうで、苦しそうで、
縄に縛られて身動きが取れないって
悲鳴を上げているように見えたんだ。

まさにみんなのお願いに
がんじがらめにされているみたいで、
かわいそうだったんだ。」

「そうだよね。願いって苦しいものなんだよ。」

「えっ。」


僕はお地蔵様をもう一度見つめた。

そうか、
お地蔵様を見つめているうちに

なんとなく、
なんとなくだけど、
わかってきたような気がする。


このお地蔵様は、
みんなの願いを一身に受け止め、
その重みを必死に請け負っている。

いや正確には、
みんなの願いによって縛られて苦しくなる様を、
お地蔵様自らが身代わりになって
見せてくれているのかもしれない。



実際、お地蔵様に
みんなの願いを一つ一つ叶えることなんてできない。


みんなの願いを叶えてあげたい、
とお地蔵様が願いを持つことで、

お地蔵様は願いを持って苦しんでいるみんなと
同じ立場に立ち、
みんなの心に寄り添ってくれているんだ。



そして、お地蔵様自身が
自分の願いを叶えられないで苦しんでいる姿こそ、

願いを持って苦しんでいる人々へ向けた、
鏡写しの姿なのかもしれない。


みんなの願いを叶えたいのに叶えられない。


「おじいちゃん、願いって無い方がいいの?」

「うーん、どうだろうね。
でも今に十分満ち足りていれば
願いは生まれてこないよね。

何か足りない、もっともっと、て思う時に
願いは生まれてくる。

そう考えたら、

願いがあるということは、
お地蔵様がその御姿で示してくれているように、
苦しそうなものであって、

願いが何一つないという方が、
もしかしたらスッキリとして身軽で
爽快な気分なのかもしれないね。」




そうか、そうなのか。



あの苦しそうで辛そうなお地蔵様の姿は、

望みや願いで
がんじがらめになった僕たちの姿だったんだ。


他人事じゃなかった。


自分たちが写っていた鏡のようなものだったのか。



僕は思いを巡らせた。

お地蔵様は僕らの幸せを願ってくれている。



本当の僕らの幸せって、
願いなんて何一つなく、
満足している時なのかもしれない。

願いが一つ叶えば、
一つ願いが消えるということ。



それは、縄だらけのお地蔵様の待ち望んでいること。

苦しみの縄が一つほどけてホッとする瞬間。



でもそれって、、

願いが叶うのを待つ必要なんてあるのかな。


願いを手放せば、

きっともっと簡単に、

お地蔵様も僕自身も楽になれるんじゃないかな。



思えば、
僕たちはどうでもいいような
くだらないお願いばっかりだ。


あれが欲しい
これが欲しい、
もっと欲しい、
もっともっと、
と本当に必要のないものまで欲しがってしまう。


そういう手放せる願いから、
一つずつ手放していけばいいんだ。



でも、もしかしたら
大切な願いはあるかもしれない。

だから、一つ一つよく考えながら手放していこう。

ただ、
無責任に無自覚に、
欲望のままに、

願いを持つことはやめよう。



だってそれは
お地蔵様を苦しめることでもあるし、

自分自身を苦しめることでもあるんだから。

もしかしたら

自分を愛してくれている人々も
苦しめることになるんじゃないかな。


だって、
僕がお地蔵様のように
ぐるぐる巻きの状態で苦しんでいたら、
お父さんもお母さんもきっと悲しむ。




そう考えているうちに、ふと思ったんだ。

そういえば、
おじいちゃんの手放せた願いって
なんだったんだろう、て。

聞いていいのか一瞬躊躇した。


僕から見て、
おじいちゃんだけは
縄に何一つ縛られていない
自由な存在だと感じていたから。


そんなおじいちゃんの縄の正体を
聞いてしまったら、

自分の理想を壊されてしまいそうで、
僕は少し怖かった。




それでも気になる気持ちは抑えきれず、
恐る恐る口を開いた。

「おじいちゃんの手放した願いって何?」

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