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おばあちゃんへの手紙 外伝3

おじいちゃんありがとう セミ編 3


夏休みの真っ只中だった。


その日もいつものように、
おじいちゃんの朝の散歩について行った。


まだ6時になったばかりで、
日中の暑さに比べれば幾分か涼しかった。

雄大なポプラ並木を抜けて
メタセコイアの森に入る。

メタセコイアは高く高く生い茂った木で、
そのてっぺんを見ようとすると、
顔が青空に向かって真上に向いてしまい
首が痛いほどなのだ。


恐竜のいた時代にも
高くそびえていたような木々が
森となっているのだから、

そこが木陰と木々の涼やかな呼吸のおかげで、
すがすがしく気持ちが良いのも
当たり前だと言えよう。


気温も、外のアスファルトの道より
何度か低いだろう。天然のクーラーだ。



そこで静かに歩いていたおじいちゃんが、
突然ふと振り返って僕を見た。

「勇くん、見てごらん」
にっこり笑って指さした方を見てみる。

何やら木にしがみついているようだ。

よーく目をこらす。
それは、セミの抜け殻だった。

白くて生々しいものがニョキッと顔を出していた。
「うわ、何これ」
僕は思わず声を上げてしまった。

「これはね、セミの幼虫が
大人のセミになるところだよ。」

セミと目線を合わせるかのように
しゃがみ込みながら、おじいちゃんはそう答えた。


なるほど、どうやら僕は勘違いしていたようだ。

セミの抜け殻とセミを、
別のものだと思っていたらしい。

友達とどっちが多くのセミの抜け殻を集められるか
という競争をしていた頃、
その抜け殻はセミの幼虫が羽化して
脱ぎ捨てていった殻というよりは、
「セミの抜け殻」という一つの何かだと、
無責任にも決めつけていた。


そもそもその抜け殻の姿をした幼虫が
モソモソ動いている様子など、
想像したこともなかった。


「ほら、足元」

おじいちゃんの声に今度は足元に目を転じると、
まさにその幼虫が抜け殻の姿のまま
土の中から穴を開け、
地上に這いて出ようとしているところだった。


「みんな懸命に生きているね」
おじいちゃんの一声が心に溶け込む。


空っぽの抜け殻を集めている時には、
それがセミの幼虫たちの
一所懸命に生きた証だったなんて、気づかなかった。



木の上で羽化を始めている幼虫の方に視線を戻す。


僕がこの世に生まれて初めて見る白色だった。

僕が今まで見てきた色々なものの白色は
濁っていたのではないだろうかと思うほどだ。

単純に純白というのとも違う。
透けるような、
触れてはいけないような儚さがあった。

色そのものから光を放っているような白だ。
ところどころに綺麗な緑色のラインもある。

僕は見惚れていた。

この世のものともつかぬその光景を、
一心不乱に見つめ続けた。




どのくらい時が過ぎたのだろう。


フッと我に返った僕はおじいちゃんを振り返った。

おじいちゃんはほほえんで僕に言った。
「今、どんな気持ちだい?」

僕はできるだけ素直に、このままを答えたいと思った。
「忘れた。時間が経つのを、忘れていたよ。
おじいちゃんの事も、ここに散歩に来ていることも。」

「勇くん、その感覚を大切に覚えていてね。
それがひとつになることなんだよ。」

「ひとつになる?」

「そう、今、
セミと勇くんはひとつになっていたんだ。
勇くんがいて、そこからセミのことを知っていたんじゃない。
勇くんとセミがひとつになることで
勇くんはセミのことを知り続けていた。
この、ひとつになるという世界に時間は無いんだ。
というより、
本来時間なんて人間が頭の中で
考えて作り上げたもので、存在しないんだよ。」

「時間が無い?」

「そうだよ。時間は無いんだ。
今、勇くんは時間の世界に戻ってきているから
不思議に感じるかもしてないけど、
ちょっと前まで時間のない世界にいたんだから、
少しは感じることができるんじゃないかな、
この感覚を。」



僕はその散歩の帰り道、
途中途中でセミの抜け殻を見つけた。


でも、もう今までと同じように見ることは、
できなかった。


そこに一所懸命に今を生きる、
命の営みを感じることができるようになっていた。



僕の世界は少し変わった。


どうやら時間の世界を離れると、

自分の世界が少しずつ
広がっていくように感じられるみたいだ。


おじいちゃんは毎日、それを楽しんでいたのか。


僕はなんだか幸せな気持ちになっていた。

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