見出し画像

おばあちゃんへの手紙 外伝9

おじいちゃんありがとう

雪編2


「勇一、おはよう。」


その声は降り積もった雪が音を吸収するせいか、
一切の雑味がなく、ストレートに
最短距離で僕の耳に飛び込んできた。

まるで、
すぐ隣で耳元に話しかけられたみたいに。


でも、おじいちゃんはすでに
庭で長靴を履いて立っていた。


「おじいちゃん、おはよう。今行くね。」

僕は急いで着替えて長靴を履いた。

滑って転ばないよう、
上から雪を押さえつけるように
丁寧な足運びでゆっくりと歩いた。


真新しい雪の表面に
僕とおじいちゃんの長靴の跡がまぎれていく。

振り返れば、二人が辿った道のりがよくわかる。

街は静かで、
自分の呼吸する音が
うるさいくらいによく聞こえている。


桜土手が見えてきた。

いつもの土手が、
今日は雪の丘となっていた。


滑りそうになりながらも坂を登り、
水元公園の中に入っていく。


そこは、足跡ひとつない白銀の世界だった。


しばらくおじいちゃんと立ち尽くしていた。

言葉はなかった。

でも言葉以上に雄弁に語る、
大自然の静寂がそこにはあった。


どんなに人間が騒ごうか、
思いをぶつけようが、
全てを包み込み無へと帰してしまう。

許されるのはこの白と静寂のみ。

静けさは時にうるさい音よりも耳にキーンと響き、
自分に訴えかけてくるものなんだと、

僕はこの時初めて気づいた。

おじいちゃんは隣にいて、
僕と同じ方向を見ている。

心の余計なものが
どんどんと白銀の世界に吸収されて、
残された心の奥のシンプルな部分で
おじいちゃんを感じている。

それは、この白銀の世界に心を奪われ、
白銀の世界にただ自分の呼吸音を預け、
白銀の世界が呼吸をし、
白銀の世界が僕やおじいちゃんを感じている、
そんな感じだった。


時おり吹く風の音は
耳元に擦れるものだけが聞こえ、
いつものように遠い木々のざわめきとしては
届かない。


あくまでも雪景色は沈黙しているのだ。

不思議とほっぺや指先に冷たさは感じるが、
寒いとは思わない。

むしろ慣れない雪道を歩いていたせいか、
息も切れているし、
身体の内部に熱を持っているのがわかる。


それからしばらくは二人で息を飲み込み、
じっと立ち尽くしていた。



静けさだけが自分の周りを流れていく。

どんどん心の中が透明になっていき、
静けさに飲み込まれていく。



おじいちゃんは目を瞑っていた。


もうおじいちゃんの気配がわからないくらい
その空間に溶け込んでいるようだった。



それからどれくらいの時間が流れたのだろう。


僕たちの静寂を破るように、
鳥が一羽、
一声鳴いて大空に飛び出していった。


ハッと我に返った僕はおじいちゃんを見上げる。

おじいちゃんも
少しびっくりした様子でこちらを向いた。




僕は思わず、
山でもないのに、その広大な雪景色目がけて

「ヤッホー!」

と叫んでいた。

僕のヤッホーは木霊するどころかその逆に、
白銀の世界に吸収されて吸い込まれていった。

音がいつものように伸びていかなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?