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おばあちゃんの手紙9-2

そしてみんなの後ろに
回り込みながら移動を始めた。


もちろんみんなはその場で
直立不動のまま宝号を唱え続ける。

「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、、、、」


おもむろに雪舟さんは
一人の背中にむけて合掌したかと思うと、

右手の人差し指中指2本を立てて、
その背中に文字のようなものを振りかざし描いた。

瞬間私は、「梵字」だと直感した。

梵字とはよく卒塔婆の一番上の部分に書かれている
不思議な文字だが、これはサンスクリット語という。

インド・イラン語派に属する古代語である。

それが中国に伝わり、
そのあとかなり経ってから遣唐使が日本に持ち帰り、
そして密教の発展に伴い神聖化され発達したものだ。


ちなみに卒塔婆は
梵語のストゥーパからきていて、
塔など高いものを表している。

日本では死者を供養するための塔を、
板で形どったもので表すようになった。


雪舟さんは宝号を唱えながら
一人一人の背中に2本の指で文字を刻み、

その度に「南無大師遍照金剛、ハッ!」と
気のようなものを念じ込めていた。


「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」の大合唱の中、

雪舟さんは丁寧に一人一人を回り合掌し、
その背中に何かを封印していく。


そしていよいよ勇一、佳乃の順番になると、

それぞれ背筋を正しながら緊張した面持ちで、
それを背中に受けていた。


私はちらちらとその様子を見ながら、

次の順番に立っている愛と
その腕に抱かれた勇作を見て驚いた。


今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。

勇作の口はへの字に曲がり、
愛の目は潤んで真っ赤になっていた。

そして、雪舟さんが2人の後ろに立ち合掌した。


「南無大師遍照金剛、、」


雪舟さんの気の入った迫力のある重低音が
後ろから2人を直撃し始めると、

とうとう勇作がへそから声をあげて泣き出した。


愛も大粒の涙をポロポロこぼし、
子供のように口をへの字に曲げた。

しかし、不思議なことに、
子供の大きな泣き声が、
読経の邪魔にはならなかった。


それどころか、大きな読経の流れの中に
何か純度の高い高音の彩りが添えられて、
より洗練された神聖なものに聞こえた。

周りのおばあさまの中にはもらい泣きする者も現れ、
「南無大師遍照金剛、、」の波は
いよいよ熱を帯びた。

それに負けじと雪舟さんが、
小さな勇作の背中にも腕を振りかざし
丁寧に文字を刻み、気を込めた。

「南無大師遍照金剛、ハッ!」

その瞬間の情景が私の目に焼きつく。

大きな古木の威風に包まれたこの空間が
とても優しいゆりかごのように感じられ、

泣きべそをかいている愛と勇作の周りには
穏やかな光が揺蕩っていた。

連呼する大合唱が
どこか遠くで鳴り響くものに聞こえ、
そこだけは静寂が包み込んでいた。

私は、なかば陶然としながらその風景を眺めていた。


「そのまんまでいい…」

なぜかそんな言葉が頭に浮かんだ。

泣きたければ泣けばいいんだ。



雪舟さんはお大師様の導きで、
やさしい光と静寂の中、

情感をあらわにしている二人に、
私は神聖な憧れのようなものを感得していた。


これは畏怖であろうか。憧憬であろうか。



ただただ身体の力が抜け、
「よかったね」とつぶやいていた。


やわらかな光に照らされた二人の涙は
流れる汗と一緒になって輝いていた。

この広い宇宙の悠久の時の中で、

我々はたまたま人として生まれ、出会い、
縁を結び、その結び目を
大切に大切にしながら人生を歩んでいく。


自分につながる結び目を大切に辿っていけば、
そこには必ずご先祖様の人生が
とうとうと流れている。



その無限の結び目の
どこか一つが解けてしまっていたら、
今私はここに存在していない。


この結び目を再認識し修繕していく作法が、
先祖供養なのかもしれない。

愛と勇作はこの聖地で

雪舟さんという素晴らしい先達であり、
導師に巡り会い、ほんの束の間、

その結び目をしっかりと結び締め直してもらった。

その祝福に歓喜しているようだと、
二人を見ていて心からそう思った。


このような空間の中では、

泣くことも、笑うことも、
もしかしたら悲しむことでさえ、

もはや一つの手段にすぎず、
同義にも思えてくるから不思議だ。


そこにあるのは、ただ愛の表現だけ。



出会い、共に歩むことができた
喜びとその歓喜の表れが、
陽となり陰となり、表現となって、
綴られているだけのような気がした。


母として、子として、出会えてよかったね。


泣きながらしっかりと抱き合い、
寄り添い合う二人が美しかった。



人生の先輩たちに囲まれて、
この鎮守の森に包まれて、
お大師様の宝号の大合唱の中、
我々家族はその結び目を確認しあった。


幼き頃、
おばあちゃんと手をつないで
歩いていた風景を思い出す。



おばあちゃんは鼻歌を口ずさんでいた。

銭湯からの帰り道だった気がする。
あたりはもう夕暮れ時だった。

「通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ…」

その歌がどこか物悲しく、私は少し怖くなって
おばあちゃんの手をぎゅっと握っていた。

その手のぬくもりが、絶ゆることなく、
ご先祖様から続く結び目そのものだったと、
今心得た。


雪舟さんが私の背後に回った。

ツッと二本の指が背中に添えられるのがわかる。


「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、ハッ!」


子供たちと習っている少林寺拳法の稽古の折、
緩む道着の黒帯を両手でぎゅっと締め直すたび、
丹田に力を込めて気合を入れ直すように、

自分の中の大きな結び目が
ぎゅっと締め直されたようなそんな気がして、

私は合掌したまま静かに頭を垂れ、
精一杯の感謝の気持ちを表した。

ふと振り返ると雪舟さんが目を細めて微笑んでいた。

陽だまりのような温かい微笑みに
心の中が何か清浄なもので

満たされていくような気がした。

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