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おばあちゃんへの手紙6

最初のおばあちゃんの夢を見てすぐに、
私は四国八十八ヶ所のお遍路を思い立った。


おばあちゃんのお墓参りをするうちに
仏教というものに、にわかに興味を抱き、
うちのお寺が真言宗であったというご縁もあり、
弘法大師ゆかりの地を巡礼してみようと思ったのである。

ただ歩き遍路は時間的に難しいので、
家族一緒に車で回れば良いだろうと車遍路を選択した。

半分は家族旅行がてらの軽い気持ちで、
その夏休みから出発した。



ところが、いざ行ってみると
なかなか過酷なもので、車といえども、
ただお寺の前を通り過ぎるわけではなく、
1ヶ寺、1ヶ寺きちんと大師堂(真言宗なので弘法大師を祀ってあるお堂)と御本堂の前で
お経を唱えてお参りしていくわけで、

1日にどんなに頑張っても
7~8ヶ寺を回るのがやっとだった。


特に、
最初の一番札所である霊山寺(りょうぜんじ)では、
札所巡りに必要な遍路用具を
全て揃えることが出来るとあって、
相応の時間を費やした。


まず、白衣を私が代表して着ることになった。
これは真っ白な袖なしの単衣で
背中にお大師様の宝号である
「南無大師遍照金剛」と示されたものである。

四国遍路は
そもそも平安時代より、
修行僧が中心となって行われており、
室町時代には確立されていたもので、
当時は多くの危険を伴っていたために、
白ずくめの死装束で
いつ行き倒れてもいいような格好でいた
というのが由来らしい。

さらに金剛杖。
もちろん杖としての役割もそうだが、
一番上の部分にはカバーが巻いてあり、
それを取ると、杖の四方に梵字が書かれていて、
これが卒塔婆の役割も果たすというわけだ。

つまり、
遍路道上で死んだ場合は、これが墓標となるわけだ。

また、この杖自身が弘法大師の化身ともされ、
”南無大師遍照金剛、同行二人”と記されていて、
この杖を肌身離さず持つことにより、
お大師様と常にご一緒している
という自覚をしっかり持つということになる。

この杖は、
まだ2歳の勇作の分を除いて、4人分を購入した。

佳乃も勇一もマイ金剛杖に、ご満悦の様子だった。


さらに
納札(おさめふだ)、経本、納経帳、他を購入し、

やはり真っ白で”霊場巡拝、同行二人”と書かれた
頭陀袋(ずたぶくろ)にそれらを入れた。

これは修行する僧が
経典などを入れて首からかける袋、
いわゆる肩掛けかばんのようなものであり、
本来あの世に旅立つものの大切な持ち物として、
死者の首にかける袋という意味があるらしく、
修行・成仏していくのに大切なものを入れておくもの。

ゆえに、
お寺でお参りをしたり、
休憩したりする際や、トイレに行く時でも、
この重要なものを入れた頭陀袋は
外すべきではないらしい。

まさに肌身離さずといった感じだ。


納札は、
大師堂・御本堂とそれぞれの前で
ろうそくや線香を立て、お経を唱えたら
そこに設置されている納札箱に納めてくるものであり、
住所・氏名・願い・年月日、他を書いておく。

後でお寺がその納札をお焚き上げしてくれる。

つまり、
「何年何月何日にちゃんと経を唱え、納め巡拝致しました。」
ということを煙にのせて
天に届けてくれるというわけである。


そして最後に納経帳に、
無事参拝を済ませましたという証明として、
お寺の人にサインしてもらうのである。


これがまた朱印とともに、
筆の見事な達筆で
白紙のページが1ページずつ埋まっていくたびに、
そのお寺のご本尊がそこに宿る感じがして、
なんとも言えぬ充実感がある。

そして後生大切な自分のお守りとなる。



ちなみに納札は
巡拝回数によって色が決められており、
八十八ケ所1周目から4周目までは白で、
5周以上になると緑、8周以上は赤、
25周から銀、50周から金、
そして100周以上なら錦となる。

道中知り合ったお遍路さん同士の名刺交換の意味合いで、
この納札を交換するそうだが、
この色のランクが高いお札をいただけるほど、
高い功徳をいただくことになり、喜ばれるそうだ。


しかし、
5周10周を達成する人はいても、
50周や100周にもなると、
もはや人間業とは思えない。

果たして、そんな人がいるのだろうか。

たとえいたとしても、出会える確率は低いだろう。

いや、もし仮に出会えたとしても
納札を交換する縁にまで近づけることは
まずないだろう。



そんなことを考えながら、
自分の真っ白な納札の何枚かに
住所・氏名・年月日と願いを書き入れ、頭陀袋にしまった。


ちなみに今回の巡拝に際しての願意は、

自分たちの命にバトンをしっかり繋いでくれた
おばあちゃんをはじめとするご先祖様への供養と、
月並みだが、家族の健康だ。


これは無事八十八ケ所を巡りきれるという事自体が、
健康のなせる業で、結願という事になろう。




何はともあれ、最後までやりきるという事だ。


霊山寺の売店で、
必要となる遍路用品を粗方揃え終えた頃、
お寺の方に声をかけられた。

「ご家族でお遍路ですか。」

「はい、夏休みを利用して
一度では無理なのでこれから少しずつ進められたらな
と思っているんです。」と私が答えた。

「どちらから?」と聞かれたので、

「東京です。」と佳乃がお姉ちゃんらしくハキハキと返答する。

「お姉ちゃんお兄ちゃん弟君、3人兄弟なんだね。
こんな小さいうちから偉いねぇ、いくつなの?」と聞かれ、

すかさず勇作が指を2本立てて「2才!」と宣言した。

お寺の方が満面の笑みを浮かべて言った。

「なんて素晴らしいんだろう。
いいかい、これからお姉ちゃんや僕たちがすることは
修行といって、とてもとても尊いことなんだよ。」

「尊いって?」と、
それまでじっとあたりを観察していた勇一が
パッと何かに気づいたように質問した。

「うん、尊いというのは、
みんな知っている言葉で言うと、
偉いだけじゃなくて、それに優しいも賢いも勇気があるも、
全部合わさっていて、
人間でありながらまるで神様仏様のようなことを言うんだ。
だからみんな、必ずこの尊い修行を完成させてね。
誰にでも出来ることじゃないから、きっと大きな自信につながるよ。」

「はい!」子供たちは元気良く声をそろえた。

「どうでしょう、お父さん。
この後お遍路最初の納経を行うのでしょう。
よろしかったら、本堂の中におあがりください。
ご家族の無事のお遍路旅を御祈祷させてください。
簡単な説法もさせていただきますが。」

「え、よろしいのですか!」

その時、このお寺の方がご住職であることを初めて知った。


通常、お遍路で各お寺を回っても、
ご住職にお会いするということはない。

御本堂・大師堂の前で
周りの参拝者の邪魔にならないよう、
ひっそりとお経をあげ、境内を散策しながら、
最後に納経所で納経帳に
一筆御朱印とともにしたためてもらうだけだ。



お遍路では様々な出会いや経験、
時には奇蹟に巡り合うと聞いていたが、
いきなりの巡り合いにびっくりし、驚きを隠せなかった。


お遍路で受ける様々なご接待は断らないのが礼儀。
和尚様の言葉に甘えることにした。


「宜しくお願いします。」

「さっ、こちらにどうぞ。」

我々はその室内に緊張しながら従った。

顔を見合わせた妻の表情も
笑顔の中に何やら興奮と緊張が入り混じっている様子であった。

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