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おばあちゃんへの手紙 外伝2


おじいちゃんありがとう セミ編2


僕の家は“水元公園”という
大きな大きな公園のすぐそばにある。


埼玉県との境に位置するその公園は、
東京ドーム30個分だと
どこかのテレビ番組が言っていたような気がする。



中川から枝分かれした、
大場川の行き止まりのような形で小合溜が形成され、
その水辺に沿って存在する水元公園は、
コイやフナを狙う釣り人たちもよく訪れる。

現在では釣仙郷とも呼ばれているらしい。


小合溜の歴史は古く、享保14年(1729年)に
治水事業の一つとして開かれたもので、

当時はこの水が東葛飾領(現在の葛飾、江戸川)の
灌漑用水として利用され、
「水元」という名もここからきているそうだ。


都内唯一の水郷景観を持つのどかな公園なのだ。





おじいちゃんは朝と夕、
必ずこの公園に散歩へ行く。

歩くことが健康の源だと常日頃言っている。



僕もついて行ったことがある。

おじいちゃんは一歩一歩、
ゆっくりと、何かを確かめるように歩いていた。


時折り立ち止まり、
目を瞑り、じーっと何かを感じている。

その口元にフッとほほえみが咲く。

そしてまた歩き出す。


おじいちゃんのとなりを歩きながら、

おじいちゃんのゆっくりとした
一つ一つの所作を眺めていると

頭の中が空っぽになっていくような気がした。

なんだか面白い。



僕はちょっと変わった小学生なのかもしれない。



友達が大喜びして話す
遊園地や、お祭りのように
賑やかな場所が、苦手だ。


楽しくないわけじゃない。

最初は興奮もするし楽しいとも思う。


だけど、最後は決まって、
疲れてぐったりしてしまうのだ。




でもおじいちゃんとの散歩は違った。

同じ公園をただ、ゆっくりと歩くだけなのに、
毎回新しい発見があって飽きないのだ。


それに、散歩の最後には必ず、
すがすがしい気持ちになったり、
やさしい気持ちになったり、
充実した気持ちになったりするのだ。



普段は、
しなければならない事や、したい事の計画が
頭の中をぐるぐる回っている。


でもそんな事どうでもよくなるのだ。
ただただ今感じている事を、
抱きしめながら散歩していたくなるのだ。

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