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おばあちゃんへの手紙7

御本堂では
正座をさせられるかと思ってヒヤヒヤしたが、
背もたれのない椅子がずらりと並べられていて
ホッとした。


私たちが着席すると、
和尚様はご本尊様が祀ってある
一段高い畳の間に上がり、
我々の方を向いて正座した。


「これからみなさんは
八十八箇所のお寺をお参りするわけですが、
真心のお参りで受けた納経印や修行着、金剛杖は、
一生のお守りとなります。
どうか、みなさんの一番大事な願いを
成就されますよう」


それから私たちは
和尚様の美しい読経につき従って経本通り、
初めてのお経を唱えた。

2歳の勇作は
最後の「南無大師遍照金剛」のところだけ、
打ち合わせ通り大きな声で唱えることができた。


和尚様の顔がその時、心なしか
微笑みを称えられていたように見えて
私も嬉しかった。

清らかな喜びに触れた気がした。


我々大人は
小さな子供達に、多くのものを与えながら
育てている気になっているが、
実際は逆だろうとその時思った。

我々大人が、子供達に
目に見えない何か大切なものを与えられながら、
育てられているのかもしれない。


そんなことを確認しつつ、最初の納経を無事終えた。

すると、和尚様が静かに語り出した。

「ご苦労様でした。
お経は上手に唱えられなくても大丈夫です。
真心を込めて唱えることが大事です。

目を閉じ真心で掌を合わせていると、
心の奥にある本当の自分に気づきます。
今、この時を満ち足りて感じます。

すると、やがて拝んでいることさえ忘れ、
仏と一体になる時がきます。

お経や宗派にさえこだわらない。
自由な心で静かに祈ってください。」

「仏様と一つになる」
ポツリと勇一がつぶやいた。


和尚様はハッとした様子で勇一を見やり、

「そうです。自分と仏様の境目がなくなって
まるで一つになっているようなそんな感じです。
勇一くんはわかるのかな。」


「おじいちゃんに教わったんだ。

前にセミのう化を見つけて、
それをじっと見てたら夢中になっちゃって、
時間が経つのも、そこにいることも、
一瞬忘れちゃった。

おじいちゃんはそれを
『セミと一つになってたんだよ』って教えてくれた。
時間のない世界だとも。」


「お見事。おじいちゃんのおっしゃる通りだ。
その要領だからね。」


「うん。」勇一はとても満足した様子で
大きく微笑んだ。


「お遍路をしている間は、
静かに自分の心を調え、物事を在りのままに捉えます。

この”静かに”というのが常にポイントとなってきます。
心が静まれば
自分と他人を区別することもなくなってきます。
無意味に感じてくるという方が近いでしょうか。

若いことや老いること、
汚れや清らかであることにこだわらなくなります。

もちろん、心の中が騒がしくなれば、
あっという間にそれらのこだわりが
自分をがんじがらめに捕え始めます。

でも、普段の我々は
このがんじがらめの方しか知らないので、

こだわりに慣れっこになり、
むしろそれが良いものだとさえ思っています。

そこに風穴を開けるのです。
静まった心を少しずつでも経験として持つことによって、
いかにこだわりの世界が
窮屈で苦しかったのかと気づきます。

静まった心で周りと一つになっている方が、
どれだけ自由で心地よいことなのかと知るのです。

このように自分の静かな心を拠り所とすることを
お釈迦様は次のように言い残されています。

”己(おの)が心を措きて、何処に拠るべぞ、
よく整えられし己にこそ、得がたき拠るべを得ん”」


「あっ」と佳乃が叫んだ。

「どうしたの」妻の愛が首を傾げる。

「それ、知ってる。」

「うん、そうだね、言ってごらん。」
私もピンと来たので佳乃にそう促した。

「己こそ、己の拠るべ、己を措きて誰に拠るべぞ、よく整えし己こそ、まこと得難き拠るべなり。」

「ほう、これまたお見事。法句経をご存知とは。」

「実は子供達に少林寺拳法を習わせてまして」
私がそう言うと、

「稽古の前に必ずみんなで言うの。
だから暗記しちゃった。」と佳乃が続いた。

「そうでしたか。
少林寺拳法は私もよく存じております。
四国発祥の武道ですからね。
そして、お釈迦様の教えもよく取り入れていて、
いつも感心しておりました。」


「でも一つ謎が解けた。
”よく整えし己”てなんなの…て分からなかったんだけど、
”よく静まった、落ち着いた心”てことなんだね。」
佳乃が納得した様子で言う。


「かしこい、かしこい。
では、こんなお話はどうかな。

昔、美しい娘さんがいて、
お乳を子供にくれてやり、
旦那に三度のご飯を出す間に
ふっと気がついたそうです。

『あぁ、こんな歳になった。
もう若い娘に戻ることは無い。』
そう言って淋しく笑われます。

逞しい青年だった男も鍬を振り上げ地を耕し、
荷を商い、荒海を漕ぎ、骨身を削って働くうちに、
子孫へ道を譲る年が来ていると悟られます。


必死に幸せを追いかけてきたのに、
船もいつの間にか、土に帰る月の事を思います。

お釈迦様はこの世の無常の定めを教えられました。


お遍路さんも同じ定めを知り、
北風の中山へ登り、炎天の太陽に灼かれ、
仏様を拝んで歩きます。

疲れても倒れても
他人様に感謝し、仏様に手を合わせます。

山中深くで独り仏様を拝み、
途方にくれながら、その体に熱のある限り、
最後の刹那まで他の生ける者の心を温めよ
という声を頼りに祈ります。

日の暮れるまで、仏様を拝み続けます。


そんなお遍路さんの目には
枯れてしまう花が綺麗に見えるのです。

花の色香は人の目を喜ばせ、
虫や蜂を満腹にし、仏壇まで飾り、
ただ喜ばせます。

そして喜びを与え切った後の枯れた花を見て、
お遍路さんは、あぁ美しいとわかるのです。

老婆を美人だと知れます。
家族の為に働き、
隣の偏屈者にも優しく元気ですかと尋ね、
優しい心を与えて与え抜いて皺だらけになった掌は、
ああ、なんとも美しいと思うのです。

その清い掌で拝んでくださる時、
御仏は心より喜ばれます。


わたしたちは空から降ってきた雨の水を毎日飲み、
大地に育った新鮮な野菜や穀物を食べて排泄し、
体の中を流れる水も細胞もどんどん入れ替わります。

数ヶ月のうちに
私たちの体は全て新しい体になっています。

赤子の体も、老いた体も、
降ってきたばかりの真新しい水で満ちています。
透き通る水で私たちの体は一杯です。

年をとることも、失うことも無いのです。

全てのものは、ただ浄らかです。

あなた様にご家族と多くの方が福、縁で結ばれ、
その心を伝え合えることをお祈りします。」


そう言うと、
和尚様は静かに我々に向かって合掌した。


その落ち着いた所作がとても尊い御姿に見えた。


勇一はじっと聞き入り、
涙もろい妻は目を潤ませていた。

佳乃は頷きつつ姿勢を正し、

そしてみんなで合掌した。

幼い勇作だけ、いつの頃からか
ママの身体にもたれながら、
スヤスヤ居眠りをしていた。


和尚様はそれを見て、
やっぱり微笑んでいらっしゃった。

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