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おばあちゃんへの手紙15-3


「おばあちゃんご苦労様、
これからのことは私たちに任せてください。
だからゆっくり休んで体を治して…。」

にっこり笑って、
佳乃は高らかに、そう宣言した。


あまりにも凛として
迷いのないその澄んだ声音に、

一同当意即妙に答える言葉もなく、
お互いに視線を泳がせていると、

佳乃は身じろぎもせず、語を継いだ。

「私、ずっとおばあちゃんを見てたの。
どうしてこんなに静かなんだろうって。

ただ余計なことを喋らないとか、
騒がしくないとか、
そういうのじゃなくて、
うまく言えないんだけど…。

それで私吸い込まれるようにジッと見ていたら、
どんどん私の中も静かになっちゃって、

気づいたらおばあちゃんの静けさと
繋がったような気がしたの。

静けさの中に溶けちゃったから
区別がなくなって一緒になったような、
上手な言い方じゃないんだけど、
でもすごくおばあちゃんの気持ちが
自分の気持ちとして実感できたの。


そうしたら、
言わずにはいられなくて。

「“私たちに任せてください”って」

人は繋がるだけで力を得ることがある。


実際は絶望も悲嘆も止むことなく、
心の暗い沼から溢れ出しているのだが、

手を取り合うだけで、
にわかに歩む道先が見えてくることがある。


理屈も知恵も哲学も皆後からついてくる。

それが本当に出来るかどうかの判断は
今必要ない。


むしろその判断を心に巡らせた時点で、
きっと人は本当の意味で
繋がることは出来なくなるだろう。


いや、繋がれないから
判断に頼ろうとするのかもしれない。


繋がったものたちは、
一つになれたものたちは、

判断を飛び越えて
無条件にその力を得て、
愛を宣言する。

考えることなしに、
ただただわかるのだ。

こうするしかない
唯一無二の答えはこれだと。



佳乃はこのお遍路旅を通して
確実に成長していると思った。

なにか確固たる、
生きる上での羅針盤のようなものを
自分の中に着実に組み上げていっているようだ。


愛はもちろん、
娘さんも涙を溢れさせていた。


溢れた涙の雫は
たちまち夕陽の光に溶け込んで
スカーレット色に染まった。


おばあちゃまは目をいささか細めて
ここではない何処かを見つめているような、
深みのある光を漂わせながら呟いた。

「私は直感を重視します。
直感とは実存なんよ。」

そう言って、
静かに佳乃に歩みより、
その質量を感じさせないような
優しい仕草で佳乃の手を両手で包んだ。

「ありがとう。
ばばの長い長いお遍路、
今ようやく終えることが出来ました。

お嬢ちゃんは今、
お大師様とも一つになっているんだね。

ばばにはあなたがお大師様に見える。」

佳乃は稚い眼を向けて頷いた。

「おばあちゃん、私も。
私にはおばあちゃんがお大師様に感じられる。」

「お大師様を通して一つになれたんね。」

そう言ってポシェットの中から、
おそらく手作りされた小さな封筒を取り出した。

封筒には「お接待」と手書きされていて、
中には何やら小銭が入っているようだった。

「受け取ってくれる?」
おばあちゃまはソッと差し出すと、

佳乃はおばあちゃまの手ごと包むように
両手で受け取って
「喜んで。ありがとう。」とお辞儀した。

「5円玉が入っとうよ。
思えば、最後の最後まで
良いご縁の連続じゃった。」

朴訥としたその呟きに
言葉に収まりきらない
深い思いが込められている。

お遍路は孤独な修行であると同時に、
その道すがら
すれ違う同行の人たちとの
繋がりの場でもあるのだろう。


有木さんも語っていたように、
その出会いの中では、
お互いの事情を時に曝け出し、
苦しみを分かち合い、
心を軽くして再び道に向かう、
そういった大切なご縁に力をもらってこそ、
成し遂げられる行なのかもしれない。


私や細君のような若僧には
返す言葉がないのである。


清浄な空気が満ちていた。

森閑とした寺院は夕陽に包まれ、
一日の終わりを告げていた。


おばあちゃまの長いお遍路道も
今確かに終わりを迎えようとしていた。


おばあちゃまはやっぱり静けさを湛えながら、
佳乃の頭にそっと手を乗せて
目を細めながら優しく撫でた。

「ありがとう。
ありがとう。今ばばの心の中は
感謝しかないんよ。」

清々しさが伝わってくる。

我々の心にも
たちまち清風が吹き抜ける。

おばあちゃまは笑顔で、
泣いているのは佳乃の方だった。


私は不謹慎にも自分が死ぬ時は、
このようでありたい
と強い願いが込み上げるのを禁じ得なかった。

終わりを迎えるものが笑顔なのである。

むしろ周りの者が泣いている。

でもそれは決して悲しみの涙ではない。
同情のそれでもない。
今の私には答えようもないが、
強いて言うなら憧れに近いような、
そんな憧憬の念から溢れ落ちる涙だった。

そんな美しいものに見送られながら、
笑顔で最後を迎えられたら、
どんなに幸せだろう。

そう願わずにはいられなかった。


「お疲れ様。お疲れ様。」と
泣きじゃくりながら何度も繰り返す佳乃を
愛は膝を折り、優しく抱きしめた。


おばあちゃまはやっぱり静けさを湛えたまま、
微笑んで、丁寧に何度も頷き返し、
愛おしそうに佳乃の頭を優しく撫で続けていた。

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