見出し画像

私もいつか木を植えたい

母が「梅干を漬けたとよ」とにやにや笑いながら皿に取り分けた梅干を出してきた。
自信作のようだ。

帰省中の話である。

定年まで会社勤めをしていた母は「私の料理は焼くか煮るかよ!」と宣言するほどなので、梅を漬けるとは大変珍しい。


聞けば祖父母(母方)の庭になっていたものをもぎってきたらしい。

祖父は5年前に亡くなり、祖母も昨年亡くなった。
実家と祖父母宅は車で5分ほどと近く、しょっちゅう通っていたのに梅の木があるとは知らなかった。

と母に言うと「わたしもよ!花にも気付かなくてこの前急に、実がなってるわ!ってお父さんとびっくりしたっちゃわ」などと言う。
どうやら頻繁に出向いていた母もそれに付いていってくれていた父も、誰も知らない梅の木だったらしい。

祖父母の庭は狭い。
狭いが園芸の好きな祖父がマメに山野草を植え、庭木の手入れをしていたきれいな庭である。
そうして花が咲けば日の当たる室内からみんなが楽しみ、実をつけるものは祖母の手で果実酒や果実ジュースになった。

しかし梅に関しての記憶が全くない。
祖父が亡くなる前に植えたのだろうか。
まさか飛んできたわけでもあるまい。


夕食時、
「どういう訳かカリカリ梅のようになる」
というその梅を同じく帰省中の妹が細かく刻みキュウリに合わせておつまみにしてくれた。4歳になる私の娘もかけらを入れたおにぎりをモグモグ食べる。

いい塩梅である。

食べながら梅の木が一体いつ植えられたのかを話したり、出された料理を褒めたりテレビのニュースにヤジを言ったり、話題が祖父母の思い出話に戻ったり

いいお盆であった。

もう誰も住んでいないあの家は管理をしながらしばらくそのまま置いておくらしい。
祖父母は梅の花を見たのだろうか。
梅は来年もまた実るのだろうか。

梅干がとっても美味しかったので帰省が終わり、自宅に戻るときにお土産に「持って帰る」宣言をした。母は「よしっ!」と歓声をあげた。

何年も前のいつかの祖父が植えた梅が、祖母の初盆の年に急に実を結んだ。
母がそれを漬け私と妹と娘が食べた。

死んだら終わり、という考えも
死んでも続く、という考えも
どちらも好きだし、気分によってどちらの思考にもなるけど、この梅干を前にしているときは「続いているな」と思う。


私もいつか木を植えたい。
とはいえ我が家は「転勤族」。
植える木も庭も当分持てそうにない。

しばらくは祖父母と母におんぶにだっこで美味しい梅干をいただこう。


気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。