12歳の頃、愛読していた本を売った話
実家を出て随分経つ。
結婚もしたし子どもも産んだ。
なのに実家の私の部屋は暮らしていた頃とあまり変わらず私の趣味の物で溢れていて帰省するたびに
「いつかなんとかしなければ」
と見て見ぬふりをしているとあっという間に何年も過ぎてしまった。
よし、今こそ。
そう思い、まずは趣味でやっていたベリーダンスの衣装をメルカリで売ることにした。
もうベリーダンスをすることはないだろうし元が高かったので捨てるには惜しすぎる。
ベリーダンスの衣装はキラキラビーズやピカピカラメの飾りが沢山付いていている。
習いはじめのとき先生に
「この衣装、どうやって洗濯するんですか」
と聞くと
「みんなあんまりしない、かな」
と返された。
先生の周りが特殊じゃなければNO洗濯SOダンスの世界なのだ。
それは売れるのか
いけるのか
せめてもの気持ちのファブリーズをシュッシュッとしたあと説明文を丁寧に書き上げ、商品の状態は『傷や汚れあり』にして出すと
売れた。
部屋の片隅、どころか結構な場所を取っていた衣装が売り切れると部屋は広々とした。
何より「いつかどうにかしないとなぁ」と
頭の片隅にあったプレッシャーが消え、さらになかなかの臨時収入があった。
その他、細々したものも「けっこう何でも売れるもんだなぁ」とサクサク片付けていった。
そして衣装の次に場所を取っていた、本。
家を出るときも多少は古本屋に持っていったが、まだまだ残っている。
何回も繰り返し読んでいる本や大好きな本はそのまま置いておくとして、何となくそのままにしていた本は段ボールにまとめて最寄りの古本屋に車で持ち込む。
沢山の本が少しのお金になって、部屋は更に広々とした。
問題は古本屋に持っていくのも憚られるボロボロの古い本たちだ。
本好きの人が目の前にいたら頬を叩かれそうな愚行だが、子どもの頃の私は風呂場に本を持ち込みのんびり湯に浸かりながら読書をすることを至高としていた。
当然、その当時読んでいた本はお気に入りの物ほど何度も風呂場に持ち込まれ、湿気に晒され、時が経つとそのダメージがシミなどになって表面化してきた。その結果、十数冊の本がいまだ売られる先もなく日当たりの良い子ども部屋の片隅で燦々と陽の光を浴びながら置かれ続けていたのだ。
重ねられる愚行。
「いっそ捨ててはどうか」
といったご指摘はごもっともだが、本を、しかもあんなに繰り返し読み愛した本を捨てるなんて無理な話。まぁ、置いておく場所はあるし、と何十年も開かないままの本をただ置いていた。
しかし今の私はやる気に満ちている。
そしてここはメルカリ。
とりあえず検索をして行けそうなら、挑戦するのも悪くない。
ボロボロのその本たちのほとんどは小学生の頃集め読んでいた「ティーンズハート」という講談社が発行していた少女小説系の文庫レーベルから出されていたもので、漫画が禁止されていた当時の私の楽しみを担っていた。
さてと、
「講談社 ティーンズハート 作品名 作者名」
で検索する。
い、
1万円!?
業者らしい売り主は私の持つある本に1万円台の値を付け、売りに出していた。
どうやら「ティーンズハート」界隈はもう手に入らない当時の本を求める人でそれなりの需要があるらしい。
ま、まぁ、私のは状態が悪いしね
と思いつつ、思わぬ高値に調子に乗って同時期に購入した同レーベルのこちらはボロボロでも売る気もない、大好きな本を試しに検索してみた
さ、
さ、
さんじゅうまんえん!?
口中にジュワリと謎の唾液が出る。
正確には35万5千円で、私の左手に持つその本と同じ表紙の本が売りに出されている。
売る気はない
大好きなお話だから
ないけど
35万えーん!!
過去最高の震度で心がグラグラした。
結局、その本は売らず(後にこの業者も価格を十分の一程に変更していた。それでも3万円台!!)同じ作者の別の本など値段がつきそうな数冊を売りに出してみることにした。
商品の状態は最低ランクの
『全体的に状態が悪い』
写真を何枚も付けて、説明文にも
『状態はかなり悪いです』と重ねて書いたにも関わらずそれらはそれなりの価格で売れていった。
あんなにずっと放っておいた本なのにいざ手放すとなり発送準備をしていると、少しだけ罪悪感みたいなものが出てくる。
読み返す時は過ぎたけど、あの頃あんなに好きで繰り返し読んできた本をお金につられて売ったんだな、って。
行った先で大事にしてもらえるように、買ってくれた人を状態の悪さで失望させないように、せめて丁寧に、きれいに包装して送り出した。
『全体的に状態が悪い』物を売ったのも初めてだったので相手が荷物を受け取り、評価されました、の連絡が来て相手からのメッセージを見るときには今までの取り引きの中で一番ドキドキした。
あの本は受け入れてもらえたのだろうか。
ありがとうは私の方です。
今でもこの方からのメッセージを読むと泣きそうになる。
凄くいい人のところに行ったんだな。
全然「大事に持っていた」という状態ではなかったけど、行くべきとこに行って、読んでもらうべき人のとこへ行けたんだな、と。
私は今も捨てられない、でも使わない物を溜め続けてしまっている。
子どもが赤ちゃんのときに着ていた服とか。
これもいつかもういいか、と思ったとき行くべきところに行ってくれたらいい。
私はその方法を見つけ、その先にいてくれる人を知ったから次に手放すときにはもう罪悪感はないと思う。
余談だが、うちの父も本好きで読み終えた沢山の本が積まれ置かれている部屋がある。
手放した覚えのない私の本が紛れ込んでいる可能性があり、そこに例の1万にも3万にも値を上げている本たちが潜んでいる可能性も、またある。
私のゴールドラッシュならぬブックラッシュ、あるかもしれない。
とんでもない宝の山を見つけたのかもしれない。
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取引が終了した後「この商品を削除する」で写真を消しているのでメルカリ内で今回使用した写真の取引履歴は見ることはできません。