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かわいいかわいい息子の結婚

町の不動産屋に勤めていた。
サザエさんでいう花沢不動産みたいな。

河田さんは80代のおじいちゃんで4軒の戸建てと事務所を貸し出していた。
それらに入居者が決まり契約書にサインをもらいにご自宅に伺うと奥様とニコニコ迎えてくれて、暑い日には冷たい、寒い日には温かいお茶を出してくれる。

たまに「個人的にお金渡すから自分とこの物件を優先的に案内してよ」などと言ってくる家主さんがいるが、こんな田舎でそんなお金で縛られるのは大変面倒なので「断る」一択でやってきたが、河田さんが「あげようか?」と言ってくれるのは趣味でやっているという畑で取れた大根や庭になる柑橘の実で
「事務所のみんなで食べんね」
と言ってくれるので、毎回ありがたく頂いていた。

そんな河田さんから預かっている事務所。
前の方が退去してから、なかなか入居者が見つからない。
場所は道路沿いで5〜6台は余裕で駐車できる広い土地なのだがそこにポツンと建つ肝心の建物は見るからに古く、設備も「トイレと流し台はあります」がアピールになっているようでなっていない物件なのだ。


それでもしばらくすると案内からやっと入居を希望する清掃業者が見つかった。が、家賃交渉が入り、設定より安い家賃になっての契約になってしまった。
家主の河田さんはそれでも
「ありがとうね、年金だけじゃ不安やからね」
と冗談めかしてやはりニコニコしながら契約書にサインをしてくれた。


それから数年後、外での用事を済ませ事務所に戻ると河田さんとうちの社長が何やら話し込んでいる。
「こんにちは」とお茶を出して引っ込んでいると話を終えた二人が出てきて社長は河田さんを出入口まで見送っていった。

話の内容については分からないが、愉快な感じではなさそうだ。
そもそも河田さんが事務所までやってくること自体珍しい。
と思っていたらそれからひと月も経たないうちにまた河田さんが訪ねてきて社長と何やら話し込んで帰っていた。

前回同様、河田さんを出入り口まで送り戻ってきた社長が
「みついさん、ちょっと」
と声をかけてきた。

嫌な予感しかしない。

「河田さんの、あの掃除業者が入ってる事務所があるやろ。あそこ退居させてほしいって河田さんが言いよるわ」

入居時、家賃交渉は入ったもののクレームや家賃の遅れなどもない優良業者である。
なぜ?

「河田さんのあの息子、結婚するらしいわ。その嫁がブティックやりたいって、あの土地に店建ててやりたいって息子が言ってきよるらしい」

河田さんの息子、というのは私も知っている。50代でたぬきに似ている。
親である河田父が持っていた土地にマンションを建て、家主として生活をしている。
人がお金に細かいのも厳しいのもいいが、この息子はお金に汚い。
その昔敷金を返さない、と入居者から訴えられたこともあるらしい。

河田息子に契約書のサインを貰いに行くと
「私も宅建取ろうかな。みついさん、今度勉強教えてよ。お酒でも飲みながらどうね?」
などと悪代官のようなことを言ってくる。

「お酒を飲みながらじゃ、どんな勉強も出来ませんよ」
と微笑み対応してからは「苦手な家主」の筆頭においている。

社長も河田さんの息子をあまり好いていない。なのになぜ付き合いを切らないかと社長に聞けば、河田父の方はとても良い人で、社長が独立した時には大変お世話にもなったから、だという。


河田父は土地を息子に渡すことに全然乗り気ではなかったようなのだが、息子&嫁候補に「どうなったのか」とせっつかれる毎に疲弊し、迷い、社長に相談し、今や「息子に嫁も来るし、仕方ないから手放そうと思う」というところにいるらしい。

「あの女狐が」
吐き捨てるように社長が言う。

めぎつね

まさかこの耳で「女狐」という単語を聞くことがあろとは。
河田息子の結婚相手は現在はスナックのママをしており飲み屋街では悪いエピソードを持つそこそこ有名な人らしい。

すごい組み合わせでカップルが誕生したようだ。
「みついさん、入居者の掃除業者の方に話してみらんね?」
命令ではなく提案形なのは河田父はこの件を社長、直々に担当して欲しいと依頼しているからだろう。

入居をしたら借主の方が守られる。
貸主の都合でころころ条件が変わったり、退居させられてはたまらない。
正当な事由がなければ退去などさせられないのだ。

はたしてこれは正当な事由なのか。

とっても面倒くさそうな案件なので
「私には難しそうです」
とさっと身を引いた。
若かろうとも歳を取ろうとも胃痛をもたらしそうなら経験も苦労もいらないのだ。

私になどはじめから期待してなかったのだろう社長はその後、どういう交渉をしたのか貸事務所をカラにして河田父から息子への譲渡だが売買だかまで面倒を見て件の土地には、しばらくの後無事ブティックが建った。

オープンの日、社長の名前で立派な花輪が贈られていた。
本音と建前は大事である。

「あんな場所で続くわけない」
と社長が言っていたブティックはいつの間にかスナックに業態を変えながら今も営業を続けている。


こどもっていつまでも可愛いのかしら。
こどもっていつまで親を頼りにしていいのかしら。

年金だけでは不安だと冗談のように言いながら契約書にサインをくれた河田父の笑った顔を今はスナックになった店舗前を車で通ると思い出す。

気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。