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2人の悪魔 #7

仲違い、そして



雪窟から戻ってきた友人がなんとも魂の抜けた生気のない表情であっちをうろうろ、こっちをうろうろとしては何回めかの溜息をつき…といった具合なのが目に余る。さすがに帰ってきて一晩すれば落ち着くと思っていた自分が浅はかだと思い知らされるほど長く続いた。

「なぁ君?あれから何週間経ったと思ってる、ずっとそんな調子だが…いい加減その辛気臭い態度を撤回してくれないか?そろそろ目障りなんだが」
「……ンなこと言われても」

今弱っているらしい、という噂を聞きつけたのか、このしょぼくれた状態の男の元にはいつも見かけるレベルが可愛らしいとさえ思えるほどの数の悪魔が喧嘩を売っては儚く消えていった。しょぼくれてはいてもそれなりの力を持つ悪魔だ。別に能力が衰えているからこんなに枯れ木のようになっているわけではないのだから、それは考えればわかることなのだが、そのことを散っていった悪魔たちが知る由もなく。

「これ…‥もう消えちまうよなぁ」
「なんなんだ、そのやけにおぞましい傷口のことか?思ったより綺麗に塞がってよかったじゃないか。君の手足は硬い鱗に覆われているとはいえ、そんな………鱗と柔らかい皮膚の合間をわざわざばっくりと裂くような惨い真似をされたんだから、治ってよかったと安堵するべきでは?」
「そうかもしんねえけど…」

なかなかの煮え切らない態度に、ルシフェルはわざとらしく長ったらしい溜息をつく。普段ならこの溜息だけで憤慨した男の反撃を喰らうのだが、待てども待てども攻撃はやってこない。
男の視線の先はいつも日向ぼっこをしている湖畔へと向いている。陽の光を受けてきらきらと湖面は輝き、その様子は至って普段と何ら変わりがない。そばにある木々も緑が生い茂り、柔らかい影を作っている。

「あの、フェニ」
「……」
「フェニ、ちょっと」
「……」
「………君ねえ」

ルシフェルは辛抱たまらずに、自分よりも上背のある男の背を掌で叩き倒した。その言葉通り、なんの防御体制も取っていなかった男はそのまま地面に突っ伏して何cmか滑っていった。なんとなくどこかで見たような光景であるが、ルシフェルがそれを知るわけもない。

「っにすんだよ!また顎切れた…!」
「君ね、僕が君の長ったらしく暗鬱な溜息と煮え切らないお返事を何度も何度も聞かされて大人しくしていられるとでも思ったんですか?もしそうだとしたらとんだ能天気ですね、生まれ落ちる前からやり直したらいいのでは」
「うーわ怒ってる………」

小さな声を聞き漏らさずに、フェニのツノ先をへし折るくらいの勢いではたく。もちろん折れるはずもないので、かわりに結構な衝撃が切れた顎に伝わって血が再びぽたりぽたりと地面に落ちた。

「このままではノイローゼになる、他に話を聞いてくれそうな悪魔を探すか……ああいえ、君友達いないんですもんね、あの方に仲直りさせて貰えばいい」

ほら、と向こうに見えた人影を追わせる。影はこちらの動向に気づいたのか、向こうから近づいてきた。見慣れた薄色素の髪に、意地悪そうな夕焼けの瞳は何やら面白いおもちゃを見つけたとでも言わんばかりだ。

「…ぼ、坊…」
「友人と雪山の彼の仲を取り持っていただけます?僕はこれにて」
「あっおい!」

ルシフェル、とフェニが待ったをかける前に、青色の紳士は姿を消した。

さく、と雪を踏み締める音だけが山の中にこだまする。しばらくこちらは嵐と言わんばかりの荒天だったというのに、今日の天気は今までが嘘のように晴れている。細雪すら降らない山の中、2人は雪山の主の元へと向かっていた。

「ナ、お前ってハーゲルのことどう思ってんの?」
「は!?!ぼ、ぼぼぼぼ坊??!その、いや、顔は綺麗だな〜〜って思いましたけど!?それ以上は…」
「強いから戦ってみたいってだけ?」
「……正直、破片を向けられるたびにそのあとどうなるんだろうってわくわくするくらいには」
「うーわ、やっぱフェニって根っこがソレだもんな〜〜」

好き♡とかじゃねえもんね、つまんねえなぁと創造主の片割れである男はさも残念そうに呟く。恋だとか愛だとか、そんな生やさしいものではすまないと、それだけの自負はあるのだが、いかんせんそれ以上の感情が理解できていない節はある。坊の言いたいこともそう言ったところに含まれるのだろうとも。

「にしてもね、お前こんな痛々しい傷作っちゃって…下手したら化膿するんだからね」
「だって消毒したら治っちゃいますし…」

そう言えば、創造主はニンマリと笑って傷口を指差した。

「だーから不必要にそんなに傷口広げたんだ、ははーん」
「……うぐ……」

不必要であることはわかっている。ケガをよくするし、あの日あのまま適切な処置をすればすぐに治るとわかっていた。そうしなかったのは?むしろ傷口を広げて、その血を舐めるような行為までした。一体なんのために?

「……恋?とかみてえにそんな甘ったるいことなら考えるかもしれねえけど…」

もっと本能的なものなのだ。こいつを食ってしまえ、関心を引け、もっとこっちを見ろと思ってしまうのだ。
憎悪と怒りの視線で自分を見つめる彼が欲しいと吠えてしまう。その結果がこれなわけだが。
至って遺憾ではあるのだが、あの面倒くさがりで出不精な男が復讐のこととなると深緑に怒りという炎を燃やして闘気を露わにするのが堪らなく好きで仕方ないのだ。
ただその怒りを自分へ向けてくれと。それだけなのだが、あの男は「復讐したい相手にしか本気で戦う気力も意味もない」と言い切った。あの男の決心が揺らぐことなどあり得ない。そう思うからこそ、彼の一線を踏み越えてしまったのだと思うし、あの日の彼の物言いももっともである。

「難儀ねえ、ほんと」
「肩を組まないでください、坊」
「いいじゃないの〜、どうせ浮いてるんだし」

フェニと違ってアダムスは僅かに地面から浮いている。ふよふよと漂いながらフェニに付き添う姿はなんとも奇妙だ。

「あーほら、見えてきた」
「……ほんとですね」

雪山は青空との境で白く光っている。この山を越えていけば、すぐに谷に辿り着く。行かねばと思うと同時に足が動かないことに気づく。あんなに昼間に動いて暴れて、頭の中でシミュレーションを何度もしたのにこのザマとは鼻で笑われても致し方ない。

「………何の御用で、アダムス」
「おー!ハーゲルってばそんな冷たい顔すんなって、まあまあ話は聞いてやるよ、あっちょ、……ったく容赦のねえ男」

ペタリと張り付いたアダムスを容赦なくべりっと引き剥がすハーゲルは至って普段通りに見えた。

「あなたにはこれくらいで妥当だろ」
「やん☆ハーゲルったらツンドラなんだから♡」
「あなたね、それ素面でやってて嫌にならないんですか?」
「はん、俺を舐めるなよ」
「舐めてない、呆れてる」
「ハハッ、だろうな」

アダムスとハーゲルの会話は噛み合っているようでいて、ハーゲルが押されているように窺える。やはりお嬢、もといイーヴァの対であるだけあって、柳を押すようなものなのだろう。

「…で、お前は何しに来た?僕は顔を見せるなと言ったと思うんだが」
「っ、そ、れは……」

言葉に詰まってしまうと、ぽんぽんと坊が背を叩いた。

「あのねえ、あんまり虐めてやんなよ。ルシフェルに頼まれて仲直りさせてやってくれー、って言われたから来てんの。だから早いとこ仲良くしてくれる?平和が第一!せーの!へーわが?」
「………」

返ってきたのは『何言ってんだか』と物語る冷たい視線だけだった。そんな彼の態度を気に留めた様子もなく、坊は「まあまあ」と数分前に引き剥がされたにも関わらず男に近寄っていった。おもむろにハーゲルの腕組みをした手を抜き取ると、ふよふよとこちらへ戻ってくる。そして、がしっと俺の腕を掴んで、ハーゲルの手と繋ぐように無理やり繋ぎ合わせる。

「っ、おい…!」
「はいはい、何も聞こえませーん」

もう知らぬとばかりに、握らされたハーゲルの手に指を絡めれば、びくりと男の手が反応する。と同時に向かいの男の表情をちらりと覗き見た。……予想はしていたものの、ものすごく嫌そうな顔をしている。こちらが慄いて手を引っ込めようとしてしまうくらいには。

「……卑怯者が……」
「ひぇ」

地を這うような低い声が心臓のあたりをぎゅっと引き絞った。

「はい!人間の間だと手ぇ繋いで仲直り!ってすると仲違いを終えたことになるんだっけ?じゃーそういうことで!仲良くしろよ!」

アダムスの対応ははかなり適当になってきた。間違いなく飽きてきている彼は無理やり繋いだ両手と両手を握り込むようにする。効果音をつけるとするなら「ギュッ♡」とでも当てたらいいんだろうか。それと同時に「このイカレトンチキ創造主が……」というド低音呪詛悪口が聞こえた気がするが、マジで聞かなかったことにしたい。怖すぎて顔が見れないが、握らされている手は氷水の中に突っ込んだかというくらい冷えている。

「全く、1人でこんな寒いとこいたらおかしくなっちまうっての、ナ、フェニもそう思うだろ?」
「…い…いや……えっと……」
「余計なお世話だが?」
「そうか?まーいいや、じゃあな!」

ポン!と軽快な音を立ててアダムスはその場から消えてしまった。優雅に立ち消えるイーヴァと比べると何とも騒がしい。
そして、雪山にはハーゲルとフェニの2人が残された。

「手、離せ」
「っあ!ごめん、ごめんなさ…」
「ビクビクしてンなァ……お前ほどの悪魔でもあんな目にあえば流石に、ってか」
「……」

正直なところ、久方ぶりに見たハーゲルの相貌の美しさに再び見惚れてしまっていたというのが本音だった。彼の土地であるここで口にすれば、何をされても他者に気づかれることなく処理されてしまうとわかっていたから、何も言わずに口を噤んでいた。

「駄犬、少しは反省したのか?」
「……俺が無神経だったと思ってる、最初にアンタのこと怒らせたことあるのに…その、また同じことしたって…」
「フン」

それはわかるのか、と些か詰める口調が柔らかくなった。その様子に悔しくも安堵してしまう自分がいた。ハーゲルはあの日からやはり変化がないらしく、涼しい顔も冷たい視線も何もかもそのままだった。それなのに自分はと言えば、何かが抜け落ちかのように気力が衰えて魔界の湖畔を眺めては溜息ばかり。起き抜けに涙を浮かべていることさえあった。その理由は己で計れるものではなかったのだが。かなり精神的に追い詰められていたように思う。思い返してみれば、傷口を撫ですぎて一向に治る気配もなく、話を聞いてもらっていたルシフェルの機嫌が悪くなるのも当然かと今更考える。背を蹴り落とされるくらいは覚悟していてもよかったのかもしれない。

「これで少しくらいは僕の琴線に触れるとどうなるかって身に沁みたんじゃないか?…まあただ、二度あることは三度…というからな。今度こそお前はこの雪山から出禁にする」

その言葉に、なんとか怒りの溜飲を下げてくれたのだと確信する。そして、こちらへ背を向けて谷の雪窟へと戻って行こうとするハーゲルに何回目かの「機嫌なおしてくれたんなら手合わせしてくれよ、」と声をかけながらその足跡を健気に追いかけたのである。懲りねえなぁと呟かれた声は聞き間違いでなければ、少しばかり嬉色を帯びたものだった。


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