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2人の悪魔 #9 ⚠️

まるで甘露の中


⚠️ややR表現を含みます。R15くらい




またあのきもちよくて冷たくてうずうずするものを与えられると思っていた。…だが、そんな気持ちに反してハーゲルはフェニの背を土に横たわらせると手早く腰帯を解いて薄く開かれた彼の素肌に手のひらを滑らせた。

「…な、ァ……冷たい、ンだけど…」
「siー…」

ハーゲルの体温は低い。悪魔であっても体温はある、その中でもフェニは低温動物の組み合わせが多いにも関わらずかなり体表温度は高い。つまり、フェニとハーゲルでは天と地の温度差が発生しかねないのである。薄紫の肌の上を隙間なくくっついた手のひらがスーッと滑っていっては時たまぴたりと止まる。そのまま指先で腹の筋肉を行き交うようになぞられればその度にびくりびくりと体を震わせてしまう。そうして彼の手管に不甲斐なくも抗えない様子を見て、男は非常に満足そうな顔でくすくすと笑みをこぼすのだ。

「冷たくて気持ちがいいだろうが」
「ち、ちが…」
「違う?何故」
「俺が知ってるヤツじゃない!あの、前に…ほら、アンタにメーワクかけちまった時にした…」

もごもごと用件を話せば、涼しい顔で「何のことかわかんねえなあ」と男はその言葉を流す。

「最初で最後、とかなんとか言った気がするからなァ。僕は何も思っていない奴に施す気は更々ない」

そうだろ?と自己の言葉を振り返るように促す。そんなの思い返す暇も必要ないくらいしっかり覚えているだろ、と言われるも、あの時は自分はかなり意識朦朧としていて言われるがままに頷いていた節がある。そう言えばいいのだとはわかっていたが、相手はハーゲル、雪山の主。となればまた口を滑らせてはどんな雷が落ちるかわかったものではない。

「……そう、だったかも…」
「チッ」

内心すくみ上がる思いであったが、冷たい翠はじとりと横たわるフェニの相貌を凝視したかと思うと窟内で微かに余韻を残すくらいの音で舌打ちをすると「まあいい」とだけ言った。

「お前みたいな単細胞では気を取られちゃァ覚えてらんねえもんな」

なんだと、と掴み掛かろうかと思ったが所詮ねじ伏せる前に切り刻まれて終わりかもしれない、と思ってしまうほどにフェニはハーゲルに対して力が奮えなくなっていた。なお、当の本人は全く気づいていないが、雪山の主人は薄々そのことに気づいているためこうしてわざと煽るような事を話している。悪魔を手懐ける悪魔とは、なんとも妙な話ではあるが。

「調子のいい事ばかり話す口は閉じて縫ってしまおうか」

くすくす、と再び笑みが落ちてくる。男の指先は緩んだ口唇へ伸びると、中へ押し入るようにして人差し指と親指を割り入れた。フェニの歯は犬歯がやや伸び気味で、一度見られたことがある際に「ここまで犬かとは思わなんだ」とハーゲルに揶揄われたことがある。ざらざらとした口の上裏を後から入ってきた中指、人差し指で擦られるとなんだか無性に唾液が止まらなくなる。無様に唾液を口の端から溢すしかなく、それでいて男の口遊びは止まらない。歯列をすすすとなぞっては、たまに舌の先を爪先が掠める。なんだか微弱な刺激にぞわぞわがとめどなく訪れて、無意識に口を閉じかけてしまう。すると容赦なくぎゅっと舌を摘まれた。そうなっては閉じるものも閉じられず、強制的にギリギリ犬歯の先端がハーゲルの指にかかるかどうかといったところでストップさせられる。

「っか、は……」
「噛むな」
「………」

ゆっくり口を開ければ、舌の拘束が緩む。

「舌を」

外へ出すように促され、言われる通りにする。舌が歯列よりも外に出始めたのを確認すると、ハーゲルの手は完全に離れる。

「…舌が長いのは外表動物の影響かね」
「?」
「座れ、そんで今やってることをそのままもう一度」

一度舌を口の中に引っ込めると、指し示された場所へ座り直す。そしてまたハーゲルへ向けて舌を出して待てば「いい子だ」と耳を撫でて貰える。その声が何だかとても優しく心地よく聞こえて、思わずきゅう、と喉奥から甘えるような音が出てしまう。

「ッハ」

男はひとたび嘲笑しただけで、そのまま喉と顎下をくるくるといつも通り慣れた手つきで掻き回し始める。舌をしまえとは言われていないので、余計なことはしないようにと耐える。でも顎下をくすぐられると本当に数分保たないのだ、目元にはみるみるうちに涙が溜まって淵から溜まりきれなかったものが滑り落ちていって服を濡らしていく。
ずっと外へ出している舌はそろそろ外気に触れ続けて冷えて冷たくなってきている。心なしか乾燥してきてるんじゃないかという気もする。だが、目の前の男は表情を変えることなく顎下をくすぐることに専念している。まるで何かを待っているように。

「……は、はぁぇう、」
「ン、限界か?」

待てができて偉いなァ、と翠が細くなって笑みを溢す。それが堪らなく幸福であると感じた。

「いいこ、いいこだ」

ころん、と口の中に何か冷たい固形物が入り込む。

「褒美」

すっかり感覚も鈍くなってしまった舌で巻き取るようにすれば、ふんわり蜜の味がした。

「ここらの木からとれる蜜をその辺で冷やしただけの甘味だが…今のお前にはなかなかいい褒美になるだろ」

ハーゲルの指先で摘まれていたからなのか、口内に乗せられた飴はひどく冷えていたが、何回か口の中で転がすうちにフェニの体温で溶けて消えてしまった。
あまりの余韻のなさに指を舐めてみたりもしたが、あの一瞬の甘さは跡形も無くなっていた。
フェニがなんとなく虚を味わっている間にハーゲルは立ち上がって雪窟の外を窺っていた。

「そろそろ陽が落ちる、今日はもう帰れ。満足しただろうし」
「ま、まだっ…!」
「まだ?」
「なんでもないです……」
「そうか」

聞き返した男の背後に鬼が見えたので言いかけた口のまま本音とは反対の言葉が紡がれる。そうすれば、鬼の形相が嘘のように穏やかな顔でフェニが立ち上がるのに手を貸してくれた。

「迷子になるなよ」
「………捜索が面倒だからだろ。1人で帰れる、何度来たと思って…」

それに対しては何も返ってくる言葉はなく、雪窟の戸口に立てば、前触れもなくとんと背を押されて数メートル先の雪面へ倒れ込んでしまう。3回に1回くらいのペースで同じような目に遭っているなと頭をよぎったが、考えたら負けのような気がしたので片手でぱっぱと払いのける。
後ろを振り返らずに逃げるように帰っていたが、今日だけはなぜか振り返った方がいいような気がして、谷を越える前の最後の山でそっと背後を省みると、男の薄衣が雪窟の中へ入っていくのがちょうど見えた。そこで、ようやく今まで男が自分の見送りをしてくれていたことを知った。その日、フェニはいつもよりも時間をかけて雪山を降りたのだった。もう味のしなくなった口の中は、なんだか甘いような気がした。


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