見出し画像

2人の悪魔 #15



ハーゲルはフェニの大腿部を貫いた後、一度寝ぐらへ戻って簡易的な包帯を取りに帰っていた。前の首を引っ掻いたのとは訳が違うためである。手に包帯を持って再度フェニの元へ現れた時のあの男の顔と言ったら。

「ハーゲル?!え、いやさっき帰って……え?トドメ刺しにきたとか?!お前がその気なら考え、ッう"……ぐぅ……」
「おい馬鹿か?動くんじゃねえよ。死にてえなら止めやしないが」

呆れてものも言えないとはこのことだと思っていると、流石に死にたくはないらしく、荒く息切れを何度も繰り返しながらも口を噤んだ。それをよしとし、血で濡れた雪面を避けた場所に膝をつく。

「濡れるだろ…冷えて、」

フェニ曰く、ハーゲルは常に素足であるから外で歩いているのを見るとそれだけで寒くなるとか何とか。ハーゲルからしてみれば、精霊の時の名残もあり、自特性に関する気温変化などは軒並み無効になる。それゆえに、男が懸念する事項など気にも介さなくて当たり前なので、今までも何度かこの男が不安そうな視線を送ってくるも全て無視していた。

「少し凍らせるぞ」

フェニに声をかけてから、出血口を指で円を描くように囲むと、たちまちバキバキと硬い音を立ててとめどなく血が溢れていた場所が氷結する。

「い、てぇ…」
「そうでなかったら困る」

邪魔だから裂いてもいいか、と伺いを立てればフェニが震える手で患部付近の服を爪でさっと裂いた。服にもべっとりと血液が付着していて、無惨にも槍を引き抜いた時にできた傷が刺さった時の傷口を広げてしまったらしい。思わず顔を顰めたくなるような惨さであったが、何を隠そうそれをやったのは紛れもなくハーゲルその人であったため「(流石に深すぎたな…)」とだけ思うにとどまった。
包帯を持ち出してくる最中に汲んだ川の水を血まみれの足に容赦なく叩きつける。フェニの足は爬虫類の鱗で覆われているため、人間たちのようにすぐに血が洗い流されるわけではなかったが、粘度の少ない血液は水と共に雪面へと流れ落ちた。

「さっきの氷が溶けて血が滲んでくるようなら包帯を何度か替えろ。ご自慢の足を1本なくしたくないならな」
「……わかった」

肩で息を吐くようにしていた男の呼吸は少しだけ落ち着いてきていた。額に浮かんでいた冷や汗も引いてきている。ハーゲルは粗方手当が終わったあたりで、汗の滴が輪郭線を伝って下へ落ちる様をじっと見つめていた。その視線に耐えきれないのか、赤い瞳がきょろきょろと視線を彷徨わせる。

「俺…しばらくここから立ち上がれないかも」
「日が落ちるまでには帰れるだろ」
「いや!…ってかアンタさ、目ついてんだよな?こんだけ大きな怪我させといて俺に雪山降りろっていうわけ?」
「まあ、言う」
「うう……」

わかってるんだけどさぁ、と小さい呟きがまた耳を震わす。

「さすがに今日くらい泊めてくんねえ…かな」
「は?」

さしものハーゲルも思わず面食らう。まさかそんなことを言うとは水一滴たりとも思っていなかったからである。
だめか?とフェニは膝をついたままの姿勢でこちらを伺うようにちらちらと視線を送ってくる。さてどうするかとハーゲルは考えた。
怪我人。その怪我も少しやりすぎたと思う部分がある。第一、今回はあの創造主たるあの男の攻撃の際間一髪で助け船を出したという恩義がある。つまり、貸しがひとつ。

「ああくそ、めんどくせえなあ」
「うっ」
「その代わり自力で上まで上がってこいよ。僕がお前を背負い上げられるわけないんだから」
「…!助かる」

満足そうな男の顔を見て反射的に舌打ちをしてしまう。それでいいのかとか。そこまで仲も良くない男の寝ぐらに上がり込むのはどうなんだとか。他のやつにもしてるんじゃないだろうなとか。…全く煩わしい考えがよぎるものだと頭を痛めた。

『泊めてくんねえかな』

そう言った男の顔はあまりにも無防備で、いつの日かに懇願された時のことを不意に思い出した。他に頼れるものなどない、目の前の男に縋るしかないと覚悟の決まった目をしていた。覚悟をしていながら、どこか期待をしているかのような目。

「……僕、あれのお願いに弱いんだろうな」

自分の弱点を珍しく見つけてしまったことに対しての悪態所以のため息がまたひとつ雪の中に吐き出された。

フェニがハーゲルの寝ぐらに辿り着いたのは、ちょうど日の入りの頃だった。息切れをしながら壁を片手で押さえて体を支える様は中々弱っている男、という感じがして悪くはなかった。

「お前がいつも座ってるあたりに軽く草を敷いてやったからそこで寝とけ」
「あ…悪い、手かけさせて」
「誰かさんが図々しく僕のテリトリーに入りたいなんて言うから仕方なく」
「うぐ……」

そこは怒っても良さそうなのに黙ってしまうから言われ放題になるんだろうが、と思ったり思わなかったり。にしても、日が落ちてからもこの男が雪山にいるのは初対面の喧嘩をふっかけてきたあたりくらいぶりかもしれないと思い至る。あれからかなりの時間をこの男に割くようになり、アダムスから茶化されても一蹴できないほどの時間は過ごしている自覚がある。あれだけ面倒だと避けていた手合わせもなんだかんだしてしまっているし。だがそろそろハーゲルの不眠も復活して長く、それによってハーゲルのストレスは頂点に達しつつあった。先日の精気渇望症による熱病も相まっていて、なんとなく当たり散らしたい気分でもあったというか。そこにあるものは全ておもちゃのように扱って壊してしまいたい気分というか。

「なぁハーゲル、アンタ飯は………って、うわっ!?」
「………」

そういえばちょうどいいおもちゃがそこにいるではないか。そのことに気づいて、ハーゲルはうっすらと笑みを浮かべる。少し離れた場所にいたフェニへと歩み寄り、男の耳元すれすれに氷塊を飛ばした。塊はガンと大きな音を立てて土壁へと突き刺さると同時に、砕けた氷の破片がフェニの頬へ赤紫の筋を作った。

「は、ハー………ゲル?アンタ目、すわって、る…っ」
「ンー…」

割られた膝の間に足を入れ、後退さるしかない男の顎をつうっと撫で上げる。慣れた手つきで喉元をくすぐりあげれば、抵抗していた男の声が小さく、か細く、心なしか艶を帯びる。

「僕の家に泊まるって言うんなら…お前が僕に何かを差し出すべきだよな?」
「な、に……?」
「…けどまぁ…お前は大して器用でもないし、喧嘩以外に特別な才があるわけでもないし…」
「俺がアンタに差し出せるものなんてない…!強いて言えばこの前みたいに魚とか花とか…そういう食べ物とか、なら…」
「要らねえよ、バーカ」

それよりも、なによりも。

「これがほしい」
「これ、って」

す、と指が顎先を離れてぴたりと胸元の中心で止まる。

「お前が欲しい」

え、と幾度となく聞いた戸惑いの声が耳を通り抜けていく。とん、とフェニの背が壁にぶつかる音がした。

「……逃げるだなんて、言わねえよな?」

フェニの目が、覚悟と期待の色にじっとりと濡れていく。その様子に満足げに笑みを受かべ、「お前は本当にいい子だな」と囁いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?