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鬱になって②

今回は激鬱から少しずつ普通に生活するまでの事を書きたいと思います

眠れない、感情がない、食べられない、お風呂に入れない状態がどのくらいの期間あったのか記憶が曖昧ですが

お風呂には1週間入ることが出来ないのは当たり前でしたしもっと入って無かったかもしれないです

とにかく鬱病で言われる早朝覚醒で朝早く目覚めるので一日が長いのです

反対に強い睡眠薬を処方された時には効きすぎで一日中眠くて眠くて大変でした

その頃は音楽を楽しむ事もテレビを観る事も全く出来なくて無の世界でした

徐々に回復して来た頃に少しずつ元旦那のモラハラが始まりました元々、裏表のある人でしたが私の鬱がきっかけで酷くなりました

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元旦那は典型的なモラハラだったのですが当時は私の鬱で家庭がボロボロだった事もあり元旦那に色々と罵声を浴びせられても仕方ないと思ってました

子供達はどう見ていたのか分かりませんが徐々に子供達も変わって行きました

息子は中学三年の夏から万引きや家出が増え地元の不良グループに入ってしまい警察に補導される事が何度もありました

娘はモラハラされてる私を見ていたので可哀想な事をしました

そんな日々でしたが徐々に薬が効き始めてからの私は離婚したい気持ちがムクムクと湧いて来たのです

“そうだ都会に出よう”と思い立ち子供達はその時は高校生だった事もあり悩みましたがとりあえずこの家を出ると言う事は決行しました

二駅先の町で駅から徒歩数分のアパートに引っ越しました、その町には田舎でもイオンがありコンビニやマックもありしかも徒歩圏内で、以前の生活とは雲泥の差でした

私の鬱もかなり回復しましたがしかし、派遣でたまに働いても苦しく続けて働けず生活費に困り市役所に相談に何度々相談に行き生活保護を受けるられることになりました

とりあえず子供達が高校を卒業するまでには働けるようになるのが目標でした

しかし、息子は高校に入ってからも素行が悪く煙草を学校で吸ってたとの事で停学、試験中に携帯電話を見たと言う事でまた停学と繰り返しやがては退学をしてしまいました

娘は電車通学だったのですがスーツを着たサラリーマンを見ると怖いと言う症状が出始めました父親とダブるのか?過呼吸を頻繁に起こすようになり不登校になり結局単位が足らず高校は卒業出来ませんでした

子供達は私の病気のせいで滅茶苦茶になり可哀想な事をしたと思います

娘が18歳になりもっと都会に出たいと言う気持ちになり更に都会に引っ越しました、生活保護を受けて居たので引越し料金やアパートの入居費用は出して貰えたのでとても助かりました

都会に出てからは、気分が明るくなりかなり私の鬱も回復してました、定期的に派遣で働く事が出来るようになりました

しかし、鬱は波があります頑張りすぎると落ちます普通に動く事が出来るのが嬉しくて頑張り過ぎでした急に前のように働くなんて無謀でした

都会に出で来て生活保護の担当が変わり私は障害年金の手続きをする事になりましたケースワーカーが一緒に初診の病院に付き添って頂き診断書を貰い年金事務所にも付き添ってくれました

私の診断書では障害年金2級になり生活保護から障害年金に移行になりました

かなり気分的に楽になりました次は都会に出てから現在の事を書こうと思います

最後まで読んで頂きありがとうございました





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