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禅の響 - ZEN no OTO-

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「禅の響 - ZEN no OTO -」は2020年10月から始動した年4回行われるコンサートです。 ここに、言葉と音のアーカイブを残します。 尺八の音は音楽ではない。   …
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2020年12月の記事一覧

「禅の響 -ZEN no OTO- | Epilogue」終焉からのはじまりの予感

一つの終焉  呼吸にもいつか終わりがあるように、生にも終わりが来ます。それはPrologueと類似しているようで、全く異なる状態。  目的や終着点を気にする人と私はよくお会いするのですけれど、その目的であったり終着点を絶えず考えている人には、その次のPrologueを感じられません。それはもしかしたら「個」という存在にこだわり過ぎているのかもしれません。例えば、「禅の響 ZEN no OTO」を聴いた方には、それぞれ既に何らかの「Prologue」が起きているわけで、なん

「禅の響 -ZEN no OTO- | 龍聲」ないものをあるとせよ

龍の夢を見た。 龍は目で語る。 ないものをあるとせよと。 空に舞う霧とも思える龍たちは、いつも傍にいる。  この曲は、私が昔、夢に見た龍を音として残したく作曲した曲です。夢の詳細はこちらをご覧ください。「アルバム 回向 曲解説」 「ないものをあるとせよ」  私が毎年行く、戸隠神社の近くにあるキャンプ場で2年前に撮った写真です。雨がザーザー降る中、何かに囚われたように急に龍聲を吹禅したくなりました。雨は勢いを増し、霧のような雨になり、上空ではいくつもの雷鳴が重なり、私は

「禅の響 -ZEN no OTO- | 別伝 鹿の遠音」アバンギャルドな生き方

言葉でない伝え方ができるとしたら、 私たちの生き方はどうなるのだろう。 嬉しい時、怒った時、おかしい時。 動物からすると、人間の伝え方はどう感じるのだろう。 不自由、虚、無感情。 野生は心に溢れいている。 「別伝 鹿の遠音」は音源になっているものが少なく、またそれぞれが技術も含めて全く異なる曲となっています。別伝とありますが、通常の「鹿の遠音」と比べることが出来ない別の曲です。かなり前衛的で江戸時代に作られたとは思えないほどです。  推測するに、私が知っている曲とは全く異