I can't be no-one else
誰かのライブがあるとする。その人のライブに何年に行ったことあると経験談を話すことは、ウザいからやめろとよく言われる。
でも、今年はそれでも書き残したい気持ちになったので、敢えてここに書いてみる。
自分で思うように面白く過ごせない毎日に鬱屈した思いを溜め込んで、思い通りにならないことは人のせいにする。
30年前、鬱々とした毎日にパンチをくらわされた気分になれたのは、この頃聞いた世界中の音楽。
色んなアーティストの中で、強烈なパンチみたいに思えたのはOASISだった。
2009年、苗場 グリーンステージ 雨のち晴れ
斜め下気味に腰を落として後ろ手に胸を張り、空に向かって、まるで世界中に聴かせるように歌った人。
その隣で、俺の作った最高の曲だと説得力のあるギターを鳴らした人。その翌月から二人が揃ったライブを見ることは無くなった。
2023年、幕張 スタジアムでのライブをiPadで見た。
あれから一人で歌う姿を見るたびに、さすが、とか、あれれ?とか、いろいろ思いながら見てきた。
なんとなくこの夏の歌声からは、経験値とものすごく気の良いオッチャン味(すぐ怒るけど)が増してるのと同時に、心の真ん中にありそうな俺は俺だ!な安定感はアップデートされても基本変わらないなと実感して、安心よりも感動に変わった。
'94年のデビュー曲の冒頭で歌っていることが、30年近く経った今の佇まいからより強い説得力があると感じて、同じく30年いろいろ経験したのにまだたまに弱ってしまう私は、またその人の歌声に励まされてしまった。
願わくば、その歌詞と曲を書いたもう一人の人が歌ってる人の隣でギターを弾いてる歌をまた聴きたい。
もし私がその場で聴けるとしたら、その時どんな気持ちになるのかな。
同時に人気のあったblurも好きでよく聴いていた。でも、パンチをくらわされるというより、あぁそっか!と視点を変えて楽しめるような気持ちにさせてくれた。
今年、幕張でのライブは、30年近く前に感じた衝撃以上に、何年経っても日常生活で湧き起こるどうすることもできない現実への怒りに通用すると強く思った。
年月の積み重ねが歌の持つ力をより強くすることを実感した、2023年の夏でした。