ティーンエイジャーの苦悩ーthe breakfast club

高校の時、いつも無限の楽しさと向かい合わせにブラックホールのような不安があった。お母さんの言うこともお父さんの言うこともこっちから見たら筋の通ってないことばかりで、ちょっとはこっちの気持ちにもなれないわけ、って思っていた。高校卒業して一年経って、バイトも経験し、インターンも経験し、種々雑多の私にはどうにもできない出来事も経験した今では、ちょっと大人の言うことも分かる気がする。そして、私が現在高校生の弟に思うように、可能性が億個の高校生のうちにたくさんのことをしておくべきだと思うし、ついそれを口出してしまいそうになる。実際、私が高校の時に言われても、あっそう、こっちは今の生活で十分忙しいのにとしか思えなかっただろうに。
そんな高校時代という、成熟と未成熟の中で踊る3年間(映画の舞台はアメリカなので4年間だが)の苦悶をよく表した映画であった。カーストは違えど、立場は違えど、悩みの本質は常に大人と大人になりかけの自分の狭間にある。そして、自分とは何かという問いかけに対して、まるで他の逃げ道はないように思えて、自分じゃないような行動を選択してしまう。それが、なぜか最もいい道のように思えるのである。
そしてこの映画は同時に対比となる大人もうまく映し出している。こんな親いるよね、こんな先生いるよねって。この中のセリフの一つで、昔の子供たちの方がよかったと愚痴る先生に用務員のおじさんが言う言葉がある。「子供達は何も変わっていない。それはあなたの感じ方が変わったせい。」だと。1年高校生よりも大人になった私にこの言葉は刺さった。自分たちの若者時代はなぜか大人になると忘れてしまうもので、若者のことがどんどんわからなくなる。こっちはあなたのこと心配してるのよ。どうして分かってくれないのって。若者時代は私たちにだってあって、同じ苦悩を抱えていたはずなのにね。不思議だ。
私は来月でティーンエイジが終わる。この10年間は二度と繰り返せない。知らないことを学ぶ時に人はちょっと怖気付いちゃったりするけど、だからこそ様々なことをティーンエイジャーのうちに知ってよかったって思う。若いうちにって意味でも、失うものが小さいって意味でも最強だからである。もちろんそんな簡単に言えることばかりでもなくて、辛いこともたくさんあったように思えるけど。ハタチになれば大人として扱われて、ミソジになれば結婚でもして、子供を産んで、フワクになれば子供がティーンエイジャーになって、気がつけば若者にガミガミ言うような、私が今一番嫌いなタイプの大人になっちゃったりするんだろうか。そうなりそうだったら、この映画見返したりしてもいいかな。

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