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ガーゴイル

誰かにとって心の底から満足できることが、自分には表層の満足しか与えないことがある。逆もまた然りである。
表層の満足は得やすいし分かりやすいが、その反面、いとも簡単に洗い流されてしまう。得ては流され、得ては流されを続けていると、どうも時間ばかり浪費しているような気にもなる。

「今に不満はないけど……別に」
という言葉こそ危険なシグナルである。それは慢性的な自己欺瞞。例えばいつの間にか日が暮れて、気付いた時には帰れなくなった夕闇のような。
「不満だ」と正直に言えなくなるのはどうしてだろうか。おそらく「あなたなんて幸せな方なのに何を言っているのか?」などといった批判を恐れているから。
この世界は「詩人になりたいけどなれない」と嘆く人に対して、「あなたはお金持ちだからそんなことが言えるのよ」などという訳の分からない論理を振りかざす人がいる。世界にはそのような「人の気持ちを封じ込めるような魔法」が幾つか存在している。「幸福だ」「贅沢だ」「感謝しろ」etc.
マホトーン(魔封じの呪文)を使うガーゴイル(悪魔)。それが奴らの正体だ。低俗な悪魔には、表層と深層の満足の区別ができない。

欲求の総量に高い低い(大きい小さい)があるのは確かだと思う。実際に時々、高すぎる願望を抱いて、自らを苦しめることもある。でも自分の欲求を他人に否定されることがあったら、もしくは自分自身が否定してしまうことがあったら、少し考えてみてほしい(考えてみたい)

欲求には高い低い以外のベクトルがあることを。質……硬さや柔らかさ、明るさや暗さ、密度や湿度。必ずしも具体的でなくていいから、自分の欲求しているものは、いくつもの視点から捉えていたいと思う。
加えて、同じ高い低いという言葉を使っていても、「高望み」と「高次の欲求」では意味が全く変わってくる。欲望とはちゃんと向き合った方が良い。

自分の欲求をよく吟味して、安易に否定しないことだ。そうすればきっと、人の欲求も肯定できるようになるから。自分がガーゴイルにならなくて済む。

思うに「人付き合い」って、欲求の質が同調しやすい者同士でしている方が、ストレスが少ないように思う。
自分のためにも、相手のためにも、自分の欲求に嘘をつかないこと。そこからまず始めよう。
おそらく、異質な者との出会いの方がはるかに多い。「表層の満足」という仮面をみんな被っているけど、おそらく中身は全然違うのだから。「深層の満足」を表現することは、きっと本当の仲間を増やす第一歩だ。

欲求に同調できる仲間という存在は、何にも代え難いものである。
僕はこれまでそういった人たちになかなか出会えなかったけれど、noteではちゃんと出会える。遠すぎも近すぎもない不思議な場所だけど、此処にちゃんといる。
いつも感謝しています(。-人-。)

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