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鍛冶屋と眼科医【掌編】

「このままだと右眼は失明しますよ」
 言い切った眼科医は見るからに若造だった。チャラチャラ髪を伸ばし、髭をたくわえて、胸板は白衣が余るほどに薄っぺらい。こんな奴に大事な視力の行く末を宣言されてしまったのか。浅井は拳を握りしめると、年齢にそぐわない隆々とした前腕がさらに盛り上がった。

浅井清、73歳、眼科受診歴なし、
既往歴は不明(病院嫌いで健診なども受けたことがない)家族歴は父が右眼を失明、父方祖父も右眼を失明。

 パソコンのモニターに映る診療録カルテにそう書かれているのを、浅井の左眼はしかと捉えていた。その下に文字は続いていたが、数字や英語だらけで内容までは分からなかった。

 右眼の視力低下を自覚したのが3ヶ月前。同じ頃より商品にクレームがつき始めた。切れ味が悪い、刃が欠ける、以前はこんなじゃなかったのに。昔馴染みの客の声は浅井の胸を容赦なく刺していった。
 それに加えて、病院に行かないと飯を作らないと妻に言われ、しぶしぶ受診したのだった。視力、眼圧、視野……妙な機械の前に座らされる度に、浅井は苛々を募らせていた。

「あのなぁ、先生。ちょっと俺の話をしてもいいか?」
「どうぞ」
「失明なんてはなから覚悟してたんですよ。親父もそうだし、祖父じいさんもそうだった。あんちゃん、天目一箇神あまのまひとつのかみって知ってます?」
「いえ、知りませんが」
「鍛治の神さまですよ、隻眼せきがんの」
「初めて聞きました」
「鍛治っちゅうのは炉中の鉄の色を見るために片目をつぶるんです。そこに熱やら火の粉やらが容赦なく襲ってくるもんで、運が悪けりゃ失明しちまう。だから鍛治の神さまは隻眼ってわけです」
 眼科医は浅井の話を興味なさそうに聞いていた。

「浅井さんは……鍛治の仕事をされているんですね?」
「そうだ。野鍛治っつって包丁や農具を叩いたり修理めんてなんすもしとる」浅井がそう言うと、若い眼科医はモニターに向かいタイピングして職業欄に〈鍛治屋〉と入力した。
「目のためにとか言われても、仕事は辞めんからな。兄ちゃんには分からんかもしれんが、鍛治は古事記の時代からある。祖父さんも親父もそれで失明した。俺だけ免れるっちゅうわけにはいかんよ。古株の客もおるしな」

「浅井さん……」
 眼科医は深いため息をついた。
「視力低下の原因は糖尿病です。お仕事とはいっさい関係ありません。これ以上悪化させないためにレーザー治療というものがあります。あと内科もかならず受診して頂きますから…………あ、でも、鍛治と隻眼の話は興味深かったです」

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